観音は抜苦与楽(ばっくよらく)つまり苦しみを除き楽を与えるという現実的な功徳をもっているので、庶民に人気があったものであろう。品川宿では北品川法禅寺の観音堂の聖観音、南品川品川寺の聖観音と水月観音、南品川海晏寺の聖観音がとくに有名であった。
法禅寺観音堂の聖観音は将軍綱吉の生母桂昌院の寄進によるものと伝えられ、毎月十七日の縁日には店が出て参詣人で賑わったし、品川寺の観音は江戸三十三観音の三一番(東海三十三観音の二一番)に数えられており、海晏寺の聖観音は鮫の腹中から出たと伝えられ、江戸三十三観音三〇番・(東海三十三観音の各三〇番)に数えられ、多くの巡拝者があった。
観音は三十三の姿に化身して功徳を与えるものとされ、その化身した姿が三十三観音の像容といわれているが、三十三の観音を三三カ所に配置し、これを巡拝する霊場巡りの習俗もでき上った。前記の江戸(東海)三十三観音はこの習俗によって設定されたものである。三三カ所の観音霊場巡りで著名なものに西国三十三箇所(平安時代中期に成立)と坂東の三十三箇所(江戸時代に成立)があるが、これに秩父三十四箇所(江戸時代に成立)を加えた百番霊場巡りも行われ、品川の地域にも巡拝を記念して造立した百番供養塔も見ることができる。