地蔵の信仰

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 地蔵の信仰は中国で唐代頃に成立した信仰で、我が国には平安時代に入ってきて、当初藤原氏の専権に対抗できない下層貴族たちに受入れられ、次第に一般庶民の中に浸透していった信仰である。

 地蔵は慈悲が深く浄土に住まず、地獄にいて罪人を友として、罪人の苦を代って受ける「代受苦」の功徳をもつ菩薩とされ、また閻魔王の前に引出された死者が、地獄に堕ちることを阻止し、さらにもう一度この世に戻すという利益を授けるとされ、庶民に親しまれてきたのである。

 品川区内でも江戸時代には寺院の境内や路傍に数多くの地蔵の石像が造立され、人びとの尊信を受けていたが、その信仰の形も「代受苦」の功徳を現わす縛られ地蔵(南品川願行寺にある)・身代わり地蔵(大井三ツ又にある)・塩立て地蔵(西五反田五丁目安楽寺にある。願いごとがあるとき地蔵の足もとに塩を盛るとこれがかなう。地蔵の足元が風化して細くなっているのは、願いをかなえるため、やせ細ってしまったといわれる)や、病気を癒す塩地蔵(西五反田三丁目徳蔵寺にある。眼病を癒す。)関の地蔵(大井四丁目西光寺にある。病気平癒)、安産・厄除・子育の朝日地蔵(小山二丁目、地蔵の辻にある)がある。

 南品川品川寺には江戸の入口六カ所に造立された江戸六地蔵の一つである銅造の大きな地蔵菩薩坐像があり、毎年六月二十四日が、地蔵参りの日で、多くの参詣人があった。