真言・天台の両宗や浄土三宗(浄土宗・真宗・時宗)の檀徒が念仏講を結成していたのに対し、日蓮宗の檀徒は題目講を組織していた。
品川区では荏原地区の中延村が全村日蓮宗であって、上・中通り・東の三つのヤト(小字)にそれぞれ題目講があって、毎月十二日に「お題目」の集まりを行っていた。「お題目」は講員宅を順番に宿にして十二日の夜、宿に講員が集まり、宿の一室に講の十界曼荼羅の掛軸を掛け、この前で一同団扇太鼓をたたきながら、南無妙法蓮華経の七字題目を数百遍、くり返し唱えるもので、終了すると共同飲食して散会した。
大井村の原には大井原十二日講があり、品川宿には江戸とその周辺地域にも数多く分布していた題目講のうちで、名門といわれた品川四天王講があった。
品川四天王講は天明八年(一七八八)、将軍家斉の頃、池上本門寺の旅立の祖師像を江戸城中で出開帳をした際、四天王旗を捧持して、城内に入ることを許された唯一つの講とされ、芝蓮台講・赤坂御賽銭講・青山御笠講・四谷四菩薩講などの各講とともに出開帳に供奉する役講の一つに加えられていた。
天保二年(一八三一)の日蓮聖人五百五十遠忌にあたって、品川構(講)中は堀ノ内妙法寺(東京都杉並区)に金五百疋を寄進しており(「五百五十遠忌寄進帳・妙法寺文書」)、大きな力を持っていたことが推察される。
江戸期の題目講の大きな活動分野に御会式への万燈参詣がある。十月十二日の日蓮聖人の逮夜法要に池上本門寺へ万燈をかかげ、団扇太鼓をたたいて参詣にゆく習俗が、江戸ッ子の好みに合ったのか、各講の若い衆が本門寺に繰り出し、ついでつぎつぎに執行される近在各寺の御会式に、各講の万燈が繰り出したのである。
品川区内の寺院では十月十六日に行われる中延法蓮寺の御会式が盛大で、現在でも近在の各講から約二〇基の万燈が集まる。