品川区内の村々が統合されて大きく変化したのは、市制町村制の施行によってといえる。
明治二十一年四月市制町村制が公布された。町村制の実施に当っては、まず自治制を実施し、町村の資力を漸次充実させ、町村制実施による経費負担の増大を解決しようとした。「町村区域戸口資力調査」の行われたのは、その第一歩で、これに基づいて案が作成された。
統合に当って、住民による請願はいろいろあったが、府庁・郡役所案が結局大きくものをいって、品川町、大崎村、平塚村が各村々を統合して、やっと形をととのえるに至った。大井村だけは戸数・人口・土地とも十分新町村の基準に達したものとして、一村でそのまま新制度に移行したのは注目されてよい。
新 | 旧町村名 | 戸数 | 人口 | 反別 | 地価 | 備考 |
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品川町 | 反 | 円 | ||||
北品川宿 | 一、二七七 | 六、〇五九 | 八六・六〇二〇 | 四八、九五三 | 北品川連合戸長役場 | |
品川歩行新宿 | 三八九 | 二、三六四 | 四・六三一八 | 二四、二〇七 | ||
南品川宿 | 一、六〇三 | 六、六五二 | 九八・二七〇二 | 五一、〇八〇 | 南品川連合戸長役場 | |
南品川猟師町 | 二〇二 | 八八八 | 一・八二二五 | 一、一八二 | ||
南品川利田新地 | 六二 | 三二六 | 九一一五 | 六一七 | ||
二日五日市村 | 六八 | 二四一 | 一九・六一〇五 | 五、九四二 | ||
計 | 三、六〇一 | 一六、五三〇 | 二一一・八六二五 | 一三一、九八三 | ||
大井村 | 大井村 | 九五一 | 四、七七六 | 二七九・七七一〇 | 八三、六〇二 | |
大崎村 | 上大崎村 | 一八二 | 七二二 | 五三・〇七〇六 | 一一、九〇三 | 五ヵ村連合戸長役場 |
下大崎村 | 一〇四 | 五六〇 | 六一・六三一六 | 一六、八九〇 | ||
谷山村 | 二五 | 一六三 | 一七・五三〇〇 | 四、八一二 | ||
(飛地を除く)居木橋村 | 四七 | 二九八 | 四〇・三二二七 | 一六、三四〇 | ||
桐ケ谷村 | 七六 | 四四八 | 六五・七五二五 | 一八、四七五 | ||
白金村ノ字長者丸 | 七 | 三五 | 一六・二三二一 | 一、九三五 | ||
并増上寺之下屋敷 | ||||||
白金猿町ノ内 | 一二六 | 四七七 | 二・三一〇〇 | 一、〇二二 | 旧芝区 | |
計 | 五六七 | 二、七〇三 | 二五六・八七〇五 | 七一、三七七 | ||
平塚村 | 戸越村 | 一七二 | 九六五 | 一四八・四〇二八 | 二九、三四二 | 戸越村外二ヵ村連合戸長役場 |
上蛇窪村 | 三五 | 二四四 | 三四・六八一九 | 九、四三一 | ||
下蛇窪村 | 六〇 | 三三一 | 四四・七〇〇五 | 一一、八二八 | ||
中延村 | 一四五 | 八三六 | 一六六・八一一四 | 三二、四六三 | 中延村外一ヵ村連合戸長役場 | |
小山村 | 六八 | 三九八 | 六五・九三〇七 | 一一、六四九 | ||
谷山村ノ飛地 | 〇 | 〇 | 一・四八二七 | 二六四 | ||
計 | 四八〇 | 二、七七四 | 四六二・〇三一〇 | 九四、九七七 |