環境問題と再開発

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 三十七年にはじめて減少した品川区の人口は、四十年代にはいってから、四十三年を除いて年々減少をつづけた(第19表)。これは、東京のドーナツ化現象が、都心周辺部にまで及んだことを意味する。四十五年の段階で、東京二十三区の内十七区までが人口減少区となった。ただ、区内に副都心地域のない品川区がかなり高い人口減少率(六・一パーセント)を示しているのは、住宅地としての環境が悪化している証拠である。戦前には、比較的緑にも恵まれ、都心への交通便利な住宅地として評価された品川区は、さまざまな都市公害の被害を蒙って、必らずしも快適な住宅地ではなくなってきたというべきである。区内に多くの幹線道路が通り、羽田空港に近いため、騒音公害は区内における最大の公害である。都心部と工業地帯とから影響を受ける硫黄酸化物による大気汚染も区民の悩みである。競馬場付近の住民にとっては、ギャンブル公害という特殊な問題がある。

第19表 品川区における人口の推移(昭和37年~同47年)
年次 人口 人口の対前年増減(△印減)
実数 比率
昭和37年 414,520 5,517 1.3
38 412,012 △2,508 △0.6
39 415,728 3,716 0.9
40 410,637 △5,091 △1.2
41 407,230 △3,407 △0.8
42 398,079 △9,151 △2.2
43 399,974 1,895 0.5
44 396,558 △3,416 △0.9
45 391,703 △4,855 △1.2
46 388,122 △3,581 △0.9
47 381,143 △6,979 △1.8

 

 これら環境問題の解決には、長期的総合的再開発計画を必要とする。将来の品川区を「住宅と産業の調和のとれた緑豊かな近代都市」とすることをめざし、「品川区長期基本構想」(五十一年七月区議会議決)が確立され、さらに「品川区長期基本計画(素案)」が提示されて(五十三年四月)、住民参加による再開発計画は軌道にのりつつある。特にその場合、区の現面積の約二分の一にあたる大井ふ頭の開発利用は、右の計画実施においてきわめて大きな比重を占める。それゆえ、大田区との間に生じたその帰属問題がどう結着するかは、品川区の将来を左右する重大な問題とされたのである。

 昭和五十四年二月二十三日に都自治紛争調停委員会議が提示した調停案によって、八年間にわたり大田区との間で争われてきた大井ふ頭の帰属問題は漸く結着をみた。その結果、総面積七九二ヘクタールの五六パーセントが、品川区の区域に編入された。