『むしくら日記』の著者、河原綱徳(1792~1868)は、通称を舎人(とねり)と称し、君山、円柱などとも号しました。河原氏は代々真田家の重臣で、綱徳は弘化2年(1845)から万延元年(1860)年まで、家老を務めました。その一方で学者としても知られ、藩主真田幸貫の命で真田家の歴史を『真田家御事蹟稿』にまとめました。『先公実録』『本藩名士小伝』などの著書もあります。綱徳が『むしくら日記』を書き残した背景には、こうした歴史家としての立場がありそうです。過去の資料を元に歴史を編さんしてきた綱徳にとって、体験した大震災を後世のために書き残すことは使命であったのかもしれません。