○下戸倉

   53左  
下戸倉 八丁程相対して巷をなす、立場なり、有明山の麓にて、姥捨山ハ西に
見ゆる、上戸倉苅谷原右に見て、笄の渡場あり、又横吹といふハ村上家の
古城、山の腰にて岩石屏風を立たる如くなるに、右は千隈川の急流渦巻
て眩暈をなすばかりなり、冠着山西に相対す、ばせを翁の句碑あり、
  横吹や駒もいななく雪あらし[或曰、此句芭蕉翁ならず、加賀侯の藩中なりと、]
 横吹坂を下る、左の谷に地蔵菩の丈五尺計なる石像あり、つるし仏といふ、その
故は、むかし径弐尺五寸計の鍋蓋程の銕に観音の像を鋳着て、鎖を以て
木の枝につるしてありしが、今ハ坂木宿の入口なる西仙寺に納て、其跡に右の石仏
 
   (改頁)
 
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を建て、つるし仏といひ伝ふと也、往古の仕置場なりとぞ、