3、江戸時代の神戸村

 神戸村(ごうどむら)は、小俣村の北にあり、東は奈良井川の沿岸に続いています。江戸期から明治期までの村名で、筑摩郡(つかまぐん)に属しました。
 はじめは松本藩領に属し、出川組(いでがわぐみ)の神戸村・神戸新田村・二子村と、塩尻組の今村・小俣村の五か村でした。のちに松本藩領主水野家の改易により、享保10年(1725)からは幕府領となり、寛保3年(1743)から松本藩戸田家の預かり地となりました。
 家数・人数は、元文元年(1736)32軒・176人、文政5年(1822)52軒・246人、嘉永6年(1853)60軒・294人です。
 明治2年(1869)に伊那県、同4年に筑摩県に所属し、同7年に笹下村(ささげむら)の一部となります。同22年に合併して笹賀村(ささがむら)となりました。
 その後、昭和29年(1954)に松本市に合併しました。