[解説]

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海津往来
海津往来

長野郷土史研究会 小林一郎

『海津往来』とは

『海津往来』は、松代(長野市松代町)を中心に、寺子屋などで用いられた手本です。「海津」は松代藩の城下である松代の別名で、松代城は海津城とも呼ばれています。この往来物の内容は、松代の歴史、寺社などに始まり、後半では信濃の名産、名所、郡名などを記し、隣国の国名などにも触れています。よく使用された往来物らしく、花月文庫以外にも、写本が何点も現存しています。この花月文庫本は、『海津往来』に続いて蘇軾(そしょく)の「前赤壁之賦」(漢文)が記されていますが、この両者は別物で、特に関係はありません。

『海津往来』の成立

この花月文庫の『海津往来』は、表紙に「寛延辛未載」、末尾に「維時寛延龍集辛未載」とあって、辛未(かのとひつじ)年の寛延4年(1751)の成立であることがわかります。この年は、10月27日に宝暦と改元されています。別の本には、「辛未載」に続いて「復月上浣」(11月上旬)とあるので、『海津往来』ができたのは宝暦元年(1751)と言うべきでしょう。

『海津往来』の引用

『海津往来』は、手習いの手本であっただけでなく、地誌としても重視されていました。嘉永2年(1849)に出版された『善光寺道名所図会』には、「巻之四」の「松代」の項に、「寛延四年辛未撰びし海津往来といへる文章あり」として、『海津往来』の前半部分を掲載しています。

松代藩の家老で、松代三山(鎌原桐山、山寺常山、佐久間象山)の一人に数えられる鎌原桐山(1774~1852)は、『朝陽館漫筆』(全162巻)を書きました。その「巻之十三」の冒頭に、『海津往来』の全文が掲載されています。こちらでは著者は「高久伊之介高祖父右文」となっていて、「右門」ではありません。