新野村

地域
北信
市町村名
現在(令和2年):中野市(なかのし)
明治初期:新野村(しんのむら)
幕末から明治初期:新野村/高遠村
幕末から明治初期(よみ):しんのむら/たかとうむら
『長野県町村誌』
1巻 p904に掲載 該当ページを見る
キーワード
字地:
日野岡(ひのおか)/前田(まえだ)/折窪(おりくぼ)/坂下(さかした)/野竹(のたけ)/金山(かなやま)/立道(たつみち)/行人塚(ぎょうにんつか)/関下(せきした)/下川原(しもかわら)/宮下(みやした)/漆原(うるしはら)/襟崎(えりさき)/中新野(なかしんの)/市道(いちみち)/窪田(くぼた)/日野(ひむの)/宮上(みやうえ)/溜池下(ためいけした)/上東(うえひがし)/下東(したひがし)/籠田(かごた)/石原(いしはら)/楯(たて)/磊滝山(らいろうやま)/翠降山(すいこうやま)/旗杭山(はたぐいやま)/竜宮山(りゅうぐうやま)/金鎧山(きんがいさん)
山:
屏風山(びょうぶやま)/東山(ひがしやま)
川:
裾無瀬川/十二川(じゅうにがわ)/石原溝(いしはらみぞ)/前田溝(まえだみぞ)/西沖溝(にしおきみぞ)/立道溝(たてみちみぞ)/漆原溝(うるしばらみぞ)/上関溝(かみせきみぞ)/下関溝(しもせきみぞ)/加冶屋溝(かじやみぞ)/中新野溝(なかしんのみぞ)/東溝(ひがしみぞ)/川原堤(かわらつつみ)/北堤(きたつつみ)/石原堤(いしはらつつみ)
道路:
北国東往還(ほっこくひがしおうかん)/温泉街道(おんせんかいどう)
社:
新野神社(しんのじんじゃ)/諏訪社(すわしゃ)
寺:
松山寺(まつやまじ)
学校:
澧泉学校(れいせんがっこう)
古跡・名勝:
小曾崕城墟(こそがけじょうあと)/烽火台跡(のろしだいあと)/古跡址(こせきあと)/陣屋跡(じんやあと)/旗杭井(はたくいい)
物産1:
蕪菜(かぶな)/乾柿(ほしがき)
物産2:
繭(まゆ)/生糸(きいと)/薪(まき)
民業男:
農桑(のうそう)/炭(すみ)
民業女:
農桑(のうそう)/養蚕(ようさん)/木綿布(もめんふ)
その他特記ワード:
小区扱所(しょうくあつかいじょ)/医業(いぎょう)
明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵)
新野村(図)
史料ID:14-1 3-15
新野村(図)
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市町村史誌目次情報DB
中野市誌/下高井郡誌