更科村

地域
北信
市町村名
現在(令和2年):中野市(なかのし)
明治初期:更科村(さらしなむら)
幕末から明治初期:更科村
幕末から明治初期(よみ):さらしなむら
『長野県町村誌』
1巻 p912に掲載 該当ページを見る
キーワード
字地:
南越巻(みなみこしまき)/下沖(しもおき)/中沖(なかおき)/北沖(きたおき)/北越巻(きたこしまき)/裏ノ山(うらのやま)/北郷(きたごう)/南郷(みなみごう)/家並内(やなみうち)/寺下(てらした)/間瀬場(ませば)/桑木原(くわのきばら)/古屋敷(ふるやしき)/前山(まえやま)/柏木立(かしわきたち)/道入(どういり)/大棚(おおだな)/桜木場(さくらこば)/蛇越(じゃごえ)/日向山(ひなたやま)/上野山(うえのやま)/野嶽(のたけ)/日影(ひかげ)/山ノ神上(やまのかみうえ)/山神下(やまのかみした)/山神前(やまのかみまえ)/御座石下(ございしした)/御座石上(ございしうえ)/山犬窪(やまいぬくぼ)
山:
更科山(さらしなやま)
川:
南川(みなみがわ)/北川(きたがわ)/古屋敷川(ふるやしきがわ)/赤砂川(あかすながわ)/更科溝(さらしなみぞ)/谷地溝(やちみぞ)/石原溝(いしはらみぞ)/中田溝(なかだみぞ)/ホマチ溝(ほまちみぞ)/大溝(おおみぞ)/土腐溝(どぶみぞ)/下川原溝(しもがわらみぞ)/越巻溝(こしまきみぞ)
渡・堰:
精進場池(しょうじんじょういけ)/刀井(とい)
道路:
湯街道(ゆかいどう)/市道(いちみち)/北国東往還(ほっこくひがしおうかん)/横道(よこみち)/宮前道(みやまえみち)/宮裏道(みやうらみち)/釜場道(かまばみち)/北坂道(きたさかみち)
社:
高井船着神社(たかいふなつきじんじゃ)
寺:
月宮院(つきみやいん)/浦野氏墓(うらのしはか)
学校:
澧泉学校(れいせんがっこう)
古跡・名勝:
鎌ヶ嶽城墟(かまがたけじょうあと)/蓮台山浄土寺古跡(れんだいざんじょうどじこせき)/廃堂十王堂(はいどうじゅうおうどう)/大坂(おおさか)
物産1:
桑(くわ)/清酒(せいしゅ)/乾柿(ほしがき)
物産2:
鶏卵(けいらん)/薪(まき)
民業男:
農桑(のうそう)
民業女:
農桑(のうそう)/養蚕(ようさん)
その他特記ワード:
浦野与五右衛門(うらのよごうえもん)
明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵)
更科村(図)
史料ID:14-1 3-16
更科村(図)
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市町村史誌目次情報DB
中野市誌/下高井郡誌