大俣村

地域
北信
市町村名
現在(令和2年):中野市(なかのし)
明治初期:大俣村(おおまたむら)
幕末から明治初期:大俣村
幕末から明治初期(よみ):おおまたむら
『長野県町村誌』
1巻 p989に掲載 該当ページを見る
キーワード
字地:
坂口(さかぐち)/北山(きたやま)/ヅシ/大林(おおばやし)/北河原(きたかわはら)/境塚(さかいつか)/東原(ひがしはら)/大窪(おおくぼ)/南原(みなみはら)/朝日(あさひ)/棚林(たなばやし)/姥ヶ沢(うばがさわ)/伊勢宮(いせみや)/上坂口(かみさかぐち)/菖蒲池(しょうぶいけ)/水神釜(すいじんかま)/大河原(おおがわら)/東ゾリ(ひがしぞり)/宮ノ窪(みやのくぼ)/宮ゾリ(みやぞり)/小河原(こかわら)/ウド
山:
大林山(おおばやしやま)
川:
千曲川(ちくまがわ)
渡・堰:
大俣渡(おおまたわたし)
道路:
中野街道(なかのかいどう)
社:
高井大富神社(たかいおおとみじんじゃ)
寺:
無量寺(むりょうじ)
学校:
愛育学校(あいいくがっこう)
物産1:
茄子(なす)/瓜(うり)
物産2:
繭(まゆ)/木綿布(もめんふ)
民業男:
農(のう)/藁細工(わらざいく)
民業女:
農(のう)/木綿織(もめんおり)
その他特記ワード:
ヅシ野(づしの)
明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵)
大俣村(図)
史料ID:14-1 3-32
大俣村(図)
目録を見る
変遷図
変遷図を見る
市町村史誌目次情報DB
中野市誌/下高井郡誌