田麦村

地域
北信
市町村名
現在(令和2年):中野市(なかのし)
明治初期:田麦村(たむぎむら)
幕末から明治初期:田麦村
幕末から明治初期(よみ):たむぎむら
『長野県町村誌』
1巻 p994に掲載 該当ページを見る
キーワード
字地:
山根(やまね)/林畔(はやしぐろ)/トブ/馬場(ばば)/大屋地(おおやち)/中屋地(なかやち)/北清水(きたしみず)/中清水(なかしみず)/大清水(おおしみず)/中島(なかじま)/南屋地(みなみやち)/中畔(なかうね)/赤山(あかやま)/三ツ叉(みつまた)/北山(きたやま)
山:
永嶺山(ながみねやま)
川:
千曲川(ちくまがわ)/夜間瀬川(よませがわ)
道路:
小布施街道(おぶせかいどう)
社:
田麦神社(たむぎじんじゃ)
寺:
光林寺(こうりんじ)/弘誓寺(こうせいじ)
学校:
好德学校(こうとくがっこう)
物産1:
胡麻(ごま)/藍(あい)
物産2:
繭(まゆ)/木綿布(もめんふ)
民業男:
農(のう)/藁細工(わらざいく)
民業女:
農(のう)/木綿織(もめんおり)
その他特記ワード:
永嶺林(ながみねばやし)
明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵)
田麦村(図)
史料ID:14-1 3-34
田麦村(図)
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市町村史誌目次情報DB
中野市誌/下高井郡誌