鼎村

地域
南信
市町村名
現在(令和2年):飯田市(いいだし)
明治初期:鼎村(かなえむら)(かなえむら)
幕末から明治初期:山村/一色村/名古熊村
幕末から明治初期(よみ):やまむら/いっしきむら/なごくまむら
『長野県町村誌』
3巻 p3644に掲載 該当ページを見る
キーワード
字地:
上山/下山/一色/名古熊
山:
闇り沢
川:
松川/男女川/毛賀沢
道路:
伊那街道/金刺街道(かなさしかいどう)
社:
諏訪社/八幡社・建御名方社合社/萱垣稲荷社
寺:
願王寺(がんのうじ)/法蔵寺(ほうぞうじ)/運松寺(うんしょうじ)
学校:
鼎学校(かなえがっこう)/名古熊学校(なごくまがっこう)
物産2:
晒紙(さらしがみ)/元結(もとゆい)/水引/生糸
民業男:
農/薪炭/商
民業女:
農/(農間)縫織・養蚕
明治初期の村絵図・地図(県立歴史館所蔵)
鼎村(図)
史料ID:6-1 1-6
鼎村(図)
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市町村史誌目次情報DB
鼎町史