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01_経基王(つねもとのみこ)
雲井なる 人をはるかに おもふには 我心さへ 空にこそなれ
【歌意】
雲のたなびく大空のように遥かなところにいるあなたを恋慕う私の心はうつろになっています。
【作者】
生没年未詳、一説に917-961。父は清和天皇の皇子貞純親王。藤原純友の乱の鎮定に際し活躍。源の姓を賜って臣籍に降下、清和源氏の祖となった。
【備考】
『拾遺和歌集』巻第十四・恋四・909、「とほき所に思ふ人をおき侍りて」。
(改頁)

02_従三位満仲(じゅゆさんいみつなか)
きみはよし 行すゑ遠し とまる身の 待ほといかに あらんとすらん
【歌意】
あなたは良いですね。行先は遠いし、齢も長いでしょう。たいして、留まる私は待っている間にどうなるかわかりません。
【作者】
912-997。清和源氏、六孫王源経基の男、多田満仲(ただのみつなか、ただのまんじゅう)。
【備考】
『拾遺和歌集』巻第六・別・334、清原元輔の贈歌にたいする返歌。勅撰集入集は一首のみ。作者名「贈三位源満仲」、第四句「まつほどいかが」。
(改頁)
03_源頼光朝臣(みなもとのよりみつのあそん)
かくなんと あまのいさりひ ほのめかせ 磯部(いそへ)の波の おりもよからは
【歌意】
このようであること(私が好きであること)をほのめかしてください。磯辺の波が程よいように言い寄るのに良い時であるならば。
【作者】
948-1028。源満仲(02番)の男。大江山の酒呑童子を退治する伝説は著名。
【備考】
『後拾遺和歌集』巻第十一・恋一・607
(改頁)

04_藤原保昌朝臣(ふじわらのやすまさのあそん)
かたかたの 親のおやとち いはふめり この子の千代を おもひこそやれ
【歌意】
それぞれの親の親、祖父がともに祝っているようである。子の子の行末の栄えんことを深く思って。
【作者】
958-1036。大盗賊袴垂保輔を威圧した説話は著名(今昔物語集)。酒呑童子説話では源頼光に従って鬼退治にあたっている。武勇のみならず和歌にも優れ、女流筆頭の歌人和泉式部の最後の夫。
【備考】
『後拾遺和歌集』巻第七・賀・448
(改頁)
05_左衛門尉平到経(さえもんのじょうたいらのまさつね)
君ひかす なりなましかは あやめ草 いかなる根をか けふはかけまし
【歌意】
あなたが引き立ててくれなかったならば、端午の今日も菖蒲の根をかけることもなく、ただ声をあげて泣いていたことでしょう。
【作者】
生年未詳-一〇一一。平致頼の男。長大な弓を愛用していたことから「大箭(矢)ノ左衛門尉」と称された。『続本朝往生伝』には源満仲、頼光らと並んで「天下之一物」として挙げられる。この一首は『詞花和歌集』に入集。
【備考】
『詞花和歌集』巻第九・雑上・336
(改頁)

06_源頼義朝臣(みなもとのよりよしのあそん)
都には 花の名残を とめ置て けふ下芝に つとふ白雪
【歌意】
都にいるときは花が散るのを見届けてきた。今日、ここでは下芝の上に白雪が降り積もっている。
【作者】
988-1075。鎮守府将軍として前九年の役では安倍氏を討伐、東国における源氏勢力の基礎を築いた。
【備考】
勅撰集入集なし。
(改頁)
07_源義家朝臣(みなもとのよしいえのあそん)
吹風を なこその関と おもへ共 みちもせにちる 山桜かな
【歌意】
風よ吹くなと思うけれども、勿来(なこそ)の関は山桜が道も狭くなるほどに散り敷いている。
【作者】
1039-1106。頼義(05番)の男。八幡太郎と称せられて武勇にかんする多くの逸話が伝えられる。
【備考】
『千載和歌集』巻第二・春哥下・103
(改頁)

08_清原武則(きよはらのたけのり)
しつのめか しつはた布の ぬきにうつ うの毛のぬのゝ 程のせはさよ
【歌意】
賤(しづ)の女が織った倭文機(しづはた)布の横糸(ぬき)として通すうの毛の布の目の細かいことよ。
【作者】
生没年未詳。源頼義に従い安倍氏討伐に勲功をあげた。
【備考】
勅撰集入集なし。
(改頁)
09_左衛門尉源頼実(さえもんのじょうみなもとのよりざね、頼光孫 頼国子)
夏の日に ちるまて消る うす氷 春たつかせや よきて吹らん
【歌意】
夏の日になるまで消えない氷は、氷を解かす春風がよけて吹いたのであろうか。
【作者】1015-1044。頼光(03番)孫、頼国の男。和歌六人党のひとりで、命と引き換えに秀歌を得たいと住吉社に祈った逸話は著名。
【備考】
『後拾遺和歌集』巻第三・夏・221、「氷室をよめる」、第二句「なるまで消えぬ」、第三句「冬氷」。
(改頁)

10_兵庫頭仲正(ひょうごのかみなかまさ)
思ふ事 なくてや春を すくさまし うき世へたつる かすみなりせは
【歌意】
思い悩むことなく春をのどかに過ごしたかった。憂き世の中と隔ててくれる霞であったならば。
【作者】
生没年未詳。頼綱の男。源三位頼政(12番)の父。『金葉和歌集』以下の勅撰集に一五首入集。
【備考】
『千載和歌集』巻第十七・雑歌中・1064
(改頁)
11_平忠盛朝臣(たいらのただもりのあそん)
行人を まねくか野辺の 花すゝき こよひもこゝに たひねせよとや
【歌意】
通り過ぎていく人を手招きしているのであろうか、野辺の花薄は。今夜もここに旅寝をせよというのであるのか。
【作者】
1096-1153。清盛の父で、平氏繁栄の基礎を基礎を築いた。和歌にもすぐれ、家集に『平忠盛朝臣集』がある。
【備考】
『金葉和歌集』巻第三・秋部・238
(改頁)

12_従三位頼政(じゅさんいよりまさ)
人しれぬ 大内山の 山もりは 木かくれてのみ 月をみる哉
【歌意】
人に知られない大内山の山守は、木隠れた月ばかりを見ている。
【作者】
1104-1180。仲正(10番)の男。以仁王を奉じて平家打倒の兵を挙げたが、宇治で敗死。鵺(ぬえ)退治の逸話でも有名。家集『源三位頼政集』があり、『詞花和歌集』初出。
【備考】
『千載和歌集』巻第十六・雑歌上・978
(改頁)
13_伊豆守源仲綱(いずのかみみなもとのなかつな)
身のうさも 花みしほとは 忘られき 春の別を なけくのみかは
【歌意】
我が身の憂さも花を見ていたときは忘れることができた。その花が散った後は春が往くのを嘆き悲しむだけである。
【作者】
1126-1180。頼政(12番)の男。父頼政らとともに宇治で戦い、敗死。『千載和歌集』に六首、入集。
【備考】
『千載和歌集』巻第二・春哥下・128
(改頁)

14_中納言平教盛(ちゅうなごんたいらののりもり)
今まても あれは有かの 世中に 夢のうちにも ゆめをみる哉
【歌意】
これまでも生きていられるこの世の中で、夢の中で夢を見るような思いである。
【作者】
1128-1185。平忠盛の四男、平清盛の異母弟。壇ノ浦の戦いで兄の経盛とともに入水した。
【備考】
勅撰集入集なし。『平家物語』巻九「二度之懸」、参照。
(改頁)
15_参議平経盛(さんぎたいらのつねもり)
難波かた 芦の丸やの 旅ねには 時雨を軒の 雫にそしる
【歌意】
難波潟の芦で葺いた小屋での旅寝では、軒を伝う雫で時雨を知ることだ。
【作者】
1124-1185。平忠盛の男、清盛の異母弟。家集に『経盛集』があり、『千載和歌集』に「よみ人しらず」として載る。
【備考】
『玉葉和歌集』巻第八・旅歌・1164、第四句「時雨は軒の」。
(改頁)

16_平忠度朝臣(たいらのただのりのあそん)
荒にける 宿とて月は かはらねと むかしの影は なをそ恋しき
【歌意】
荒れ果てた宿で眺める月は変わることはないないけれども、昔の月影はなおも恋しく思われる。
【作者】
1144-1184。平忠盛の男、清盛の異母弟。平家一門の都落ちに際して藤原俊成に自身の詠草を託した逸話は著名(『平家物語』)。「さざ波や志賀の都はあれにしを昔ながらの山さくらかな」が『千載和歌集』に「よみ人しらず」として載る。
【備考】
『風雅和歌集』巻第六・秋歌中・623、「遍照寺にて人々月見侍りけるに」。第五句「猶ぞゆかしき」。
(改頁)
17_正三位平重衡(しょうさんいたいらのしげひら)
住なれし ふるき都の こひしさは 神も昔に 思ひしるらめ
【歌意】
住み慣れた旧都を恋しく思う気持ちは、神も昔のことを慕って思い知ることであろう。
【作者】
1157-1185。平清盛の男。南都を攻撃し東大寺、興福寺を焼き払った。一ノ谷の戦いに敗れて捕縛、鎌倉に送られるも東大寺、興福寺衆徒の要求により奈良に連行されて木津川で斬首された。
【備考】
『玉葉和歌集』巻第八・旅歌・1179、第五句「思ひしるらむ」。
(改頁)

18_従三位平資盛(じゅさんいたいらのすけもり)
なかなかに たのめさりせは 小夜衣 かへすしるしは みえもしなまし
【歌意】
夜の衣を返して待つことはあてにしていなかったけれども、あの方はそれを見ていたのであろうか。
【作者】
1161-1185。平重盛の男。壇ノ浦の戦いにおいて敗死。建礼門院右京大夫との恋愛が知られている。和歌にすぐれ、『新勅撰和歌集』、『風雅和歌集』に入集。
【備考】
『風雅和歌集』巻第十一・恋歌二・1081、「契不来恋といふ事を」。
(改頁)
19_左馬頭平行盛(さまのかみたいらのゆきもり)
なかれての なたにもとまれ 行水の 哀はかなき 身は消ぬとも
【歌意】
流れていく川の水のように世の中に流れた私の名前だけでも留めてほしい。はかない我が身は消えてしまったとしても。
【作者】
生年未詳-1185。平基盛の男。壇ノ浦の戦いにおいて敗死。藤原定家に師事し、平家一門の都落ちの際に定家に詠草を託した。「ながれての名だにもとまれゆく水のあはれはかなき身はきえぬとも」の一首が『新勅撰和歌集』に入集。
【備考】
『新勅撰和歌集』巻第十七・雑歌二・1194
(改頁)

20_平経正朝臣(たいらのつねまさのあそん)
ちるそうき おもへは風も つらからし 花をわけても 吹はこそあらめ
【歌意】
花が散るのがつらいのであって、思えば花を散らすとされる風がいけないわけではない。花をとくに選んで吹くのであればそうでありましょうが。
【作者】
生年未詳-1184。平経盛(15番)の男。琵琶の名手として知られ、和歌にもすぐれた。家集に『経正朝臣集』があり、『千載和歌集』に「よみ人しらず」として載る。
【備考】
『玉葉和歌集』巻第二・春歌下・260、第三句「つらからず」、第四句「花をわきても」。
(改頁)
21_右大将頼朝卿(うだいしょうよりともきょう)
まとろめは 夢にもみえぬ うつゝにも 忘るゝほとの つかのまもなし
【歌意】
まどろんでいると、夢の中にあなたが現れてきました。現実においてもあなたのことは一時なりとも忘れたことはありません。
【作者】
1147-1199。鎌倉幕府の初代将軍で、はじめて武家政権を樹立した。実朝(26番)の父。『新古今和歌集』初出。
【備考】
『続拾遺和歌集』巻第十二・恋歌二・840、第三句「うつつには」。慈円との贈答の一首。
(改頁)

22_源頼家朝臣(みなもとのよりいえのあそん)
夜もすから たゝく水鶏(くゐな)の 天の戸を あけて後こそ 音せさりけれ
【歌意】
一晩中、戸を叩いていた水鶏は、天の戸を開けてからはさすがに音を立てなくなった。
【作者】
生没年未詳。源頼光の男。「和歌六人党」の一人。『後拾遺和歌集』初出。
【備考】
『詞花和歌集』巻第八・旅歌・64
*伊藤嘉夫氏論文の翻刻本文では、該歌は05_左衛門尉平到経の次に配置される。本書の配列は頼朝の男、鎌倉二代将軍頼家と解したことによる誤り。
(改頁)
23_伊予守源義経(いよのかみみなもとのよしつね)
いせ嶋や 塩くむ袖の 月かけを 波に残して かへるあま人
【歌意】
伊勢島の塩汲みをしている海士の袖に月が宿っている。その月を波に残して海士は帰っていく。
【作者】
1159-1189。幼名、牛若丸。頼朝(21番)の異母弟。平泉の衣川館において敗死。英雄軍記物語『義経記』の主人公として親しまれる。
【備考】
勅撰集入集なし。
(改頁)

24_平景季(たいらのかげすえ、梶原)
秋風に 草葉の露を はらはせて 君かこゆれは 関守もなし
【歌意】
秋風に草木の露を払わせてあなたが越えたならば、(白河の関には)関守もいないことでしょう。
【作者】
1162-1200。梶原景時の男。武芸(騎射)、和歌にすぐれた。『曾我物語』(仮名本)などに和歌が載る。
【備考】
勅撰集入集なし。『吾妻鏡』、参照。
(改頁)
25_平景高(たいらのかげたか、梶原)
武士の 取つたへたる あつさ弓 ひきては人の かへる物かは
【歌意】
武士(もののふ)が習い伝えてきた梓弓の射芸、それを引いたからには引き返すことなどはない。
【作者】
1165-1200。梶原景時の男、二十四番作者、景季の弟。
【備考】
勅撰集入集なし。『平家物語』巻第九、参照。
(改頁)

26_鎌倉右大臣実朝(かまくらのうだいじんさねとも、頼朝次男)
ゆふくれは 衣手すゝし 高円(たかまど)の 尾上の空の 秋のはつかせ
【歌意】
夕暮れになると、衣の袖が涼しく感じられる。高円の尾上の宮を秋の初風が吹きわたる。
【作者】
1192-1219。鎌倉幕府の三代将軍。頼朝(21番)の男。和歌に秀で、定家に師事する。家集に『金槐和歌集(鎌倉右大臣家集)』がある。『新勅撰和歌集』初出。
【備考】
『新勅撰和歌集』巻第四・秋歌上・207、第四句「尾の上の宮の」。
(改頁)
27_平泰時朝臣(たいらのやすときのあそん、北条)
世の中の 麻は趾なく 成にけり 心のまゝの 蓬(よもぎ)のみして
【歌意】
この世の中には真直ぐに育つ「麻」が跡形もなくなくなってしまった。(それに代わって)曲がりやすい「蓬」ばかりが思いのままに生い茂るようになってしまった。
【作者】
一一八三-一二四二。北条氏。鎌倉幕府三代執権で、御成敗式目を制定。
【備考】
『新勅撰和歌集』巻第十七・雑歌二・1152、初句「世の中に」
(改頁)

28_源河内守光行(みなもとのかわちのかみみつゆき)
武隈の 松のみとりも うつもれて 雪をみきとや 人にかたらむ
【歌意】
二木で知られる武隈の松の緑も降り積もる雪によって埋もれてしました。武隈では二木ではなく三木(雪を見た)と語ることにしよう。
【作者】
1163-1244。『源氏物語』の注釈研究でも知られる。『千載和歌集』初出。
【備考】
『新拾遺和歌集』巻第六・冬歌・662
(改頁)
29_式部丞源親行(しきぶのじょうみなもとのちかゆき)
いたつらに 行てはかへる 年月の つもるうき身に ものそかなしき
【歌意】
ただ過ぎては帰ってくる年月がふり積もって老いていく我が憂き身が物悲しく思われる。
【作者】
生没年未詳。河内守源光行(28番)の男。光行の業を継いで河内本『源氏物語』を大成するなど、古典研究にすぐれる。『続後撰和歌集』初出。
【備考】
『続後撰和歌集』巻第十六・雑歌上・1102
(改頁)

30_蓮生法師(れんしょうほうし、宇都宮下野守入道)
あたにのみ おもひし人の 命もて はなをいくたひ 惜みきぬらん
【歌意】
むなしいものと思ってきた人の命がることで、これまでに何度も花を愛おしんできたことだろうか。
【作者】
1178-1259。宇都宮頼綱。藤原定家の男、為家に女が嫁いだことで姻戚関係が生じ、親交があった。宇都宮歌壇の基礎を築いた。
【備考】
『続拾遺和歌集』巻第七・雑春歌・507、「花を見てよみ侍りける」
(改頁)
31_平重時朝臣(たいらのしげときのあそん)
おもひあれは たのめぬ夜半も ねられぬを 待とや人の よそにみるらん
【歌意】
あの人を恋慕う心があるので来るかはあてにならない夜も寝ることができない。その姿を待ち続けているものと他の人たちは見るのであろうか。
【作者】
1198-1261。北条氏、義時の男、泰時(27番)の弟。極楽寺殿と称する。
【備考】
『玉葉和歌集』巻第十・恋歌二・1370
(改頁)

32_平政村朝臣(たいらのまさむらのあそん、三浦)
つらかりし 春のわかれは 忘られて あはれとそきく 初雁の声
【歌意】
帰る雁との春の辛い別れはすっかり忘れてしまった。あはれな情趣を誘う初雁の声を聞くと。
【作者】
1205-1273。北条義時の男。鎌倉歌壇の中軸として活躍。『新勅撰和歌集』初出。
【備考】
『新拾遺和歌集』巻第五・秋歌下・497
(改頁)
33_行念法師(ぎょうねんほうし)
梅か香の 誰(たか)里わかす 匂ふよは ぬしさたまらぬ 秋かせそふく
【歌意】
梅の花の香がどの里かわからずに薫ってくる夜は、どこから来るとも知れない秋風が吹いてくる。
【作者】
生年未詳-1235。俗名、北条時村。時房の男。承久二年に出家。『新勅撰和歌集』に五首入集。
【備考】
『新勅撰和歌集』巻第十六・雑歌一・1036、第五句「春風ぞ吹く」。「梅が香」からして「春風」が適。
(改頁)

34_真昭法師(しんじょうほうし、北条三郎)
さためなき 時雨の雨の いかにして 冬のはしめを 空にしるらん
【歌意】
定め知らずの時雨の雨は、どのようにして冬の始まりを知るのであろうか。
【作者】
生年不詳-1251。俗名、北条資時、時房の男。『新勅撰和歌集』以下に二十二首入集。
【備考】
『玉葉和歌集』巻第十四・雑歌一・2029
(改頁)
35_源義氏朝臣(みなもとのよしうじのあそん、足利)
霰(あられ)ふる 雲のかよひち 風さえて 乙女(をとめ)のかさし 玉そみたるゝ
【歌意】
霰が降る雲の通い路は風が吹き冴えて、天女の髪飾りの玉が乱れている。
【作者】
1189-1255。足利義兼の男で、八幡太郎義家(07番)の玄孫。勅撰和歌集の入集は本歌のみ。
【備考】
『続拾遺和歌集』巻第八・雑秋部・649
(改頁)

36_武蔵守平長時(むさしのかみたいらのながとき、北条)
さひしさは いつくもおなし ことはりに おもひなされぬ 秋のゆふくれ
【歌意】
さびしさはどこであっても同じであるということはわかってはいるけれども、そのように思うことのできない秋の夕暮れであることよ。
【作者】
1230-1264。北条氏。思時の男。鎌倉幕府の六代執権。『続後撰集』初出。
【備考】
『続古今和歌集』巻第四・秋歌上・374
(改頁)
37_佐渡守藤原基綱(さどのかみふじわらのもとつな)
篠(さゝ)の葉の さやく霜よの 山かせに 雲さへこほる 有明の月
【歌意】
笹の葉が音を立ててそよぐ霜の置く夜は、山風によって空の雲さえ凍りついて有明の月がさやかに照っている。
【作者】
1181-1256。藤原基清の男。『新勅撰和歌集』に二首入集。
【備考】
『続拾遺和歌集』巻第六・冬歌・414
(改頁)

38_下野守藤原景綱(しもつけのかみふじわらのかげつな)
草葉のみ 露けかるへき 秋そとは 我袖しらて おもひける哉
【歌意】
草葉だけが露で濡れる秋であると思っていた。自分の袖が涙で濡れていることを考えないでいたことだ。
【作者】
1235-1298。藤原(宇都宮)氏。泰綱の男。和歌や蹴鞠に優れた。『続古今和歌集』初出。
【備考】
『続拾遺和歌集』巻第八・雑秋歌・578
(改頁)
39_信生法師(しんじょうほうし、塩谷右兵衛尉)
よしさらは 我とはさゝし 海士小舩(あまをふね) みちひく汐の 波にまかせて
【歌意】
それ(阿弥陀仏が衆生を救済するという本願)があるならば自ら棹をさすことはしないでおこう。海士の小船が満ち引く潮の流れにまかせるように、この身を任せることにしよう。
【作者】
1174-1248。塩谷朝業(ともなり)、宇都宮頼綱(30番)の弟。家集、紀行からなる『信生法師集』(信生法師日記とも)がある。
【備考】
『続拾遺和歌集』巻第十九・釈教歌・1389、「弥陀他力の心をよみける」。
(改頁)

40_千葉助氏胤(ちばのすけうじたね)
人しれす いつしか落る 涙川
あふせにかへて 名をなかすとも
渡るとなしに 袖ぬらすらむ
【歌意】
人に知られることなく涙がこぼれ落ちてくる。涙川を渡ってもいないのに涙で袖が濡れているだろう。
【作者】
1337-1365。千葉貞胤の男。勅撰集入集は本歌のみ。
【備考】
『新千載和歌集』巻第十一・恋歌一・1084、下句「渡るとなしに袖ぬらすらむ」。本うたの「あふせにかへて名をなかすとも」は新千載の次歌(1085)の下句。
(改頁)
41_素暹法師(そせんほうし、東平胤行)
山の端の みえぬはかりそ わたつ海の 波にも月は かたふきにけり
【歌意】
山の端が見えないくらいに海の波が高く立っている。(山の端ではなく)波に月は沈んでしまった。
【作者】
生没年未詳。東重胤(しげたね)の男、胤行(たねゆき)。鎌倉幕府三代将軍実朝(26幡)に仕える。二条派として知られ、和歌の家として知られる郡上東氏の基礎を築いた。
【備考】
『続千載和歌集』巻第五・秋歌下・517
(改頁)

42_常陸助惟宗(ひたちのすけこれむね、忠秀)
いにしへの 野中のし水 汲(くま)ね共 おもひ出てそ 袖ぬらしける
【歌意】
昔から知られている野中の清水の水を汲むことはないけれども、昔を偲んで涙で袖を濡らすことだ。
【作者】
生没年未詳。島津忠宗の男。祖父・忠景色、父・忠宗とともに勅撰集作者となる。
【備考】
『続千載和歌集』巻第十八・雑歌下・1956
(改頁)
43_丹後守藤原頼景(たんごのかみふじわらのよりかげ、秋田)
行末の 空はひとつに かすめ共 山もとしるく たつけふり哉
【歌意】
旅行く先の空は霞に覆われているけれども、山の麓にははっきりと竈の煙が立ち上っているのが見える。
【作者】
1239-1292。藤原(安達)氏、安達義景の男。藤原為家より古今集の講釈を受ける。『続古今和歌集』初出。
【備考】
『続拾遺和歌集』卷第九・羇旅歌・669
(改頁)

44_出羽守藤原宗朝(でわのかみふじわらのむねとも、小山)
つれなくて なにかうき世に 残るらん 思ひも出ぬ 有明の月
【歌意】
そ知らぬふりをしてどうしてこの世の中にとどまっているのであろうか。思い出してもくれな有明の月よ。
【作者】
1168-1254。藤原(小山、結城)氏、小山政光の男、結城朝光。弓の達人として知られ、和歌もよくした。
【備考】
『続千載和歌集』巻第十五・恋歌五・1557、第二句「なにとうき世に」。
(改頁)
45_信濃守藤原行朝(しなののかみふじわらのゆきとも)
冨士のねを 山よりうへに かへりみて 今こえかゝる あしからの関
【歌意】
富士の嶺をこれまでに越えてきた山よりも上に振り仰いで、これから足柄の関を越えようとする。
【作者】
生年未詳-1353。藤原氏。政所執事などを務める。1326年出家、法名・行珍。『続千載和歌集』初出。
【備考】
『風雅和歌集』巻第九・旅歌・908
(改頁)

46_藤原宗泰(ふじわらのむねやす、中治)
おきつかせ 吹こす磯の 松かえに あまりてかゝる 田子のうらふち
【歌意】
沖の風が吹いてくる磯の松の枝にかかる波。その松にすばらしく咲きかかるたごの浦の藤であることよ。
【作者】
生没年未詳。藤原(長沼)氏、時宗の男。『続拾遺和歌集』初出。
【備考】
『玉葉和歌集』巻第十四・雑一・1914
(改頁)
47_左衛門大夫藤原基任(さえもんのだいぶふじわらのもととう)
みやこおもふ 旅ねの夢の せきもりは よひよひことの あらしなりけり
【歌意】
都を思い起こさせる旅寝の夢を妨げる関守は、毎夜毎夜吹き荒れる嵐である。
【作者】
生没年未詳。藤原(斉藤)氏、基永の男。兼好や頓阿などの二条派歌人と親交があった。
【備考】
『続後拾遺和歌集』巻第九・羇旅歌・598、「旅宿を」。
(改頁)

48_源頼隆(みなもとのよりたか、吉見)
散花の 雪とつもらは 尋ねこし しほりをさへや またたとらまし
【歌意】
散った花が雪のように降り積もったならば、尋ねてくることができるであろうか。目印とした枝折も埋もれてしまって、また辿ることができなくなってしまうのであろう。【作者】生没年未詳。源(吉見)氏、頼宗の男。『新千載和歌集』初出。
【備考】
『新後拾遺和歌集』巻第七・雑春歌・630
(改頁)
49_平宗宣朝臣(たいらのむねのぶのあそん)
忘れ草 心なるへき 種たにも わか身になとか まかせさるらむ
【歌意】
忘れ草よ、心のもととなる種であっても、我が身にどうして蒔かせないのであろうか。任せてほしいものだ。
【作者】
1259-1312。北条宣時の男。『新後撰和歌集』、『玉葉和歌集』、『続後千載和歌集』などに二十三首、入集。
【備考】
『続千載和歌集』巻第十四・恋歌四・1454
(改頁)

50_平経貞朝臣(たいらのつねさだのあそん)
大井川 氷も秋は 岩こえて 月になかるゝ みずのしらなみ
【歌意】
冬の間に凍った氷もいまは解けて大井川の流れは岩をこすほどになっている。川面を照らす月は川の水の白波とともに流れていく。
【作者】
生没年未詳。北島城の築城主とされる。
【備考】
『続千載和歌集』巻第五・秋歌下・484
(改頁)
51_左近将監平義正(さこんのしょうげんたいらのよしまさ)
夢ならて または誠も なきものを 誰(たか)なつけゝる うつゝなるらむ
【歌意】
夢というものではなく、また真実というものもありはしない。誰がこの世を現(うつつ)と名付けたのであろうか。
【作者】
1242-1281。平(北条)氏、重時の男、義政。『続古今和歌集』初出。
【備考】
『玉葉和歌集』巻第十八・雑歌五・2462
(改頁)

52_平貞時朝臣(たいらのさだときのあそん)
吹はらふ 嵐にすみて 山の端の 松よりたかく いつる月かけ
【歌意】
激しく吹く山風に空は澄み渡って、山の端の松よりも高いところに月がさやかに輝いている。
【作者】
1272-1311。北条時宗の男、鎌倉幕府八代執権。
【備考】
『新千載和歌集』巻第四・秋歌上・385
(改頁)
53_左衛門尉藤原頼氏(さえもんのじょうふじわらのよりうじ)
世を捨る かすにさへこそ もれにけれ うきみの末を なをたのむとて
【歌意】
世の中を捨て果てる数にさえ漏れてしまった。辛く悲しい我が身ではあるけれども、そでれも頼みとすることである。
【作者】
1198―1248。藤原氏、高能の男『新勅撰和歌集』初出。
【備考】
『続千載和歌集』巻第十八・雜歌下・1987
(改頁)

54_土岐伯耆守源頼貞(ときほうきのかみみなもとのよりさだ)
岑にたつ 雲も別(わかれ)て 芳野川 あらしにまさる はなのしら浪
【歌意】
吉野山の峰にかかった雲も峰から離れて、吉野川山から吹き下ろしてくる山風によって散らされた花の白波が立っている。
【作者】
1271-1339。土岐光定の男。定林寺と号す。法名、存孝。『玉葉和歌集』初出。
【備考】
『新後拾遺和歌集』巻第七・雜春歌・634
(改頁)
55_右衛門尉藤原範秀(うえもんのじょうふじわらののりひで、北条)
みし友は あるかすくなき おなしよに 老の命の なに残るらん
【歌意】
親しく付き合っていた友は生きている方が少なくなってしまった。以前と変わらないこの世に取り残された私は、老いの命をいつまで残すというのであろうか。
【作者】
生年不詳-1340。北条氏の常葉範貞の家臣。雪村友梅に禅をまなび、和歌は藤原範秀の名で『玉葉和歌集』以下に五首載る。
【備考】
『風雅和歌集』巻第十七・雜歌下・1937
(改頁)

56_寂阿法師(じゃくあほうし、菊池)
古郷に こよひはかりの 命共(いのちとも) しらてや人の 我をまつらむ
【歌意】
故郷では私の命が今夜かぎりになったとも知らないで、私の帰りを待っていることであろう。
【作者】
1292-1333。菊池隆盛の男、武時。菊池家十二代当主。江戸幕末の画家・菊池容斎は、武時の子孫であると伝えられる。
【備考】
勅撰集入集なし。『太平記』、参照。
(改頁)
57_源義貞朝臣(みなもとのよしさだのあそん、新田)
我袖の 涙にやとる かけとたに しらて雲井の 月やすむらん
【歌意】
涙に濡れた私の袖に宿っていることを知ることなく、大空の月はさやけく澄んでいるのであろうか。
【作者】
1301-1338。源(新田)氏、朝氏の男。建武新政で功臣として活躍するも、後に足利尊氏と対立し、討たれる。
【備考】
勅撰集入集なし。『太平記』、参照。
(改頁)

58_等持院贈太政大臣尊氏(とうじいんぞうだいじょうだいじんたかうじ)
おしとたに いはぬ色とて 山吹の 花ちるさとの 春そ暮行(くれゆく)
【歌意】
散るのが惜しいとも言い表さない山吹の花が散る里の春が暮れて行く。
【作者】
1305-1358。足利氏、貞氏の男。室町幕府初代の将軍。『続後拾遺和歌集』初出。『新千載和歌集』の撰進を執奏。
【備考】
『新続古今和歌集』巻第二・春歌下・194
(改頁)
59_従三位源直義(じゅさんいみなもとのただよし)
いつとても 待すはあらねと おなしくは 山郭公(ほとゝきす) 月に鳴なん
【歌意】
いつも待っているわけではないけれども、どうせなら山ほととぎすよ、月に鳴いてくれ。
【作者】
1306-1352。足利氏、貞氏の男、尊氏の弟。『風雅和歌集』初出。
【備考】
『風雅和歌集』巻第四・夏歌・319
(改頁)

60_贈左大臣源義詮(ぞうさだいじんみなもとのよしのり)
妻恋に 涙やおちて 佐男鹿(さおしか)の 朝たつ小野の 露とをくらん
【歌意】
妻を恋もとめて涙を流して泣く牡鹿のいる朝たつ小野に露が置いている。
【作者】
1330-1367。源(足利)氏、尊氏の男、室町幕府二代将軍。『風雅和歌集』初出。
【備考】
『新拾遺和歌集』巻第四・秋歌上・455、初句「妻恋の」
(改頁)
61_従三位基氏(じゅさんいもとうじ、足利)
鶴か岡 木高きまつを ふくかせの くも井にひゝく 萬世(よろつよ)の声
【歌意】
鶴岡八幡の高い松の木立を吹き抜けていく風の音が、はるか大空にまで万世を寿ぐかのように響き渡っている。
【作者】
1340-1367。源(足利)氏、尊氏の男。冷泉為秀に和歌を学ぶ。『新千載和歌集』初出。
【備考】
『新拾遺和歌集』巻第七・賀歌・699
(改頁)

62_右兵衛督源直冬(うひょうえのかみみなもとのただふゆ)
いにしへに かはらぬ神の ちかひならは 人の国まて 治めさらめや
【歌意】
神代の頃から変わることのない誓約があるならば、人の世となった今を治められないということがあるだろうか。
【作者】
1327-没年未詳。源(足利)氏、尊氏の男、叔父・足利直義の養子となる。
【備考】
勅撰集入集なし。
(改頁)
63_上野介源髙国(こうずけのすけみなもとのたかくに、信之)
春といへは 昔たにこそ かすみしか 老のたもとに やとる月かけ
【歌意】
春といえば昔であっても霞んでいたけれども、老いた身では涙に濡れた袂に月を宿すようになってしまった。
【作者】
1305-1351。源氏、時国の男。『風雅和歌集』初出。
【備考】
『風雅和歌集』巻第十五・雑歌上・1487
(改頁)

64_伊豆守藤原重能(いずのかみふじわらのしげよし)
とはすとも さはるとせめて きかすなよ まつをたのみの ゆふくれの空
【歌意】
訪ねてきてくれなくとも、差し障りがあって来ることができないとは伝えないでほしい。ひたすら待つことを頼みにしている夕暮れの空であるから。
【作者】
生年未詳-1349。藤原氏、上杉重顕の男、または憲房の男。勅撰集入集は『風雅和歌集』のみで、三首入集。
【備考】
『風雅和歌集』巻第十一・恋歌二・1042
(改頁)
65_源清氏朝臣(みなもとのきようじのあそん)
音たにも 秋にはかはる 時雨哉 木葉ふりそふ 冬や来ぬらん
【歌意】
降る時雨は音だけでもこれまでの秋とは違うものになっている。時雨とともに木の葉までもが落ちてきて、冬が来たのであるなあ。
【作者】
生年未詳-1362。源(細川)氏、和氏の男。『新千載和歌集』に四首入集。
【備考】
『新千載和歌集』巻第六・冬歌二・613
(改頁)

66_播磨守高階師冬(はりまのかみたかしなのもろふゆ)
はつ秋は またなかゝらぬ 夜半なれは 明るやおしき 星合の空
【歌意】
秋のはじめといえば、長くはない夜であるから、はやく開けてしまうのが惜しいのではないだろうか。二星の逢う七夕の空。
【作者】
生年未詳-1351。高階氏、師行の男。勅撰集入集は本歌のみ。
【備考】
『風雅和歌集』巻第十五・雑歌上・1531
(改頁)
67_陸奥守源信威(みちのくのかみみなもとののぶたけ)
梓弓 もとの姿は 引かへぬ 入へき山の かくれ家もなし
【歌意】
(梓弓を引いたからには元には戻せない。)出家をしたからには俗世には引き返すことができないけれども、身を隠す山の隠れ家もない。
【作者】
1292-1359か。源(武田)氏、信宗の男。本歌のほか、『新拾遺和歌集』に一首入集。作者名は「信武」。
【備考】
『新千載和歌集』巻第十八・雑歌下・2036、第五句「かくれ家もがな」。
(改頁)

68_佐渡判官入道道誉(さどのはんがんにゅうどうどうよ、佐々木)
定めなき よをうき鳥の みかくれて 下やすからぬ 思ひなりけり
【歌意】
水面の浮かぶ水鳥の水の中で騒がしく足掻いているように、定めのない憂き世の中で心の内が落ち着くことがない。
【作者】
1296-1373。京極(佐々木)氏、宗氏の男。北条高時に仕えるが、のちに足利尊氏に従う。当時の芸道全般に通じ、婆娑羅大名として著名。
【備考】
『新続古今和歌集』巻第十七・雑歌上・1783、「水鳥を」。
(改頁)
69_源氏頼(みなもとのうじより、六角)
徒(いたつら)に 待はくるしき 偽を かねてよりしる 夕くれも哉
【歌意】
意味もなく待ち続けることは苦しい。来るという言葉が偽りであることをあらかじめ分かっている夕暮れであったら良いのに。
【作者】
1326-1370。源(佐々木、六角)氏、時信の男。夢窓疎石に参禅、二条派の頓阿とも親交があった。『新拾遺和歌集』初出。
【備考】
『新後拾遺和歌集』巻第十七・雑歌上・1104。
(改頁)

70_左京大夫源氏経(さきょうのだいぶみなもとのうじつね)
露霜の をかへの真葛(まくず) うらみわひ 枯行秋に うつらなく也
【歌意】
露や霜が置いた岡部の真葛はと濡れそぼっている。草木が枯れていく秋の野に鶉が鳴いている。
【作者】
生没年未詳。源(斯波)氏、高経の男。『新千載和歌集』初出。
【備考】
『新千載和歌集』巻第十六・雑歌上・1792
(改頁)
71_伊予権守高階重成(いよのごんのかみたかしなしげなり、大高)
みやこには またしきほとの 時鳥(ほとゝきす) 深き山路を たつねてそきく
【歌意】
都にはまだ来ていない時季のほととぎすを、深い山路を尋ねて、その鳴き音を聞くことである。
【作者】
生年未詳-1362。高階氏、重長の男。勅撰集入集は本歌のみ。
【備考】
『風雅和歌集』巻第十五・雑歌上・1499、「郭公を」。
(改頁)

72_元可法師(げんかほうし、薬師寺)
うつもれぬ けふりを宿の しるへにて 雪にしほくむ 里のあま人
【歌意】
埋もれることのない煙を宿の目印にして、雪の中で汐を汲む里の海士人。
【作者】
延慶年間(1308-11)-1381頃。薬師寺公義。1351年出家。二条派歌人との交流があった。『新千載和歌集』初出。
【備考】
『新後拾遺和歌集』巻第六・冬歌・561、「海辺雪を」。
(改頁)
73_源直頼(みなもとのなおより、赤松)
数ならぬ 身は中々に うき事を ならひになして なけかすも哉
【歌意】
人数にも入らない我が身の辛さが常のものとなってしまい、身を歎くことがなくなれば良いのになあ。
【作者】
生没年未詳。源(赤松)氏、範資の男。『新千載和歌集』初出。
【備考】
『新千載和歌集』巻第十七・雑歌中・1946
(改頁)

74_鹿園院太政大臣(ろくおんいんだいじょうだいじん)
たのむかな 我みなもとを 岩清水 流れの末を 神にまかせて
【歌意】
頼み申しあげることです。我が源氏一族の氏神、石清水八幡を。我が子孫の繁栄を岩清水の神の加護に任せます。
【作者】
1358-1408。室町幕府三代将軍、足利義満。義詮の男、北山殿、鹿苑院などとも。『新後拾遺和歌集』の撰進を執奏。『新後拾遺和歌集』初出。
【備考】
『新後拾遺和歌集』巻第十八・神祇歌・1517、作者名・左大臣。
(改頁)
75_養徳院贈太政大臣満詮(ようとくいんぞうだいじょうだいじんみつのり、足利)
かりねする いなのさゝ原 うきふしも しらてや今宵 月にあかさむ
【歌意】
旅の中で仮寝をする猪名の笹原、笹の節のようにつらい時も忘れて今夜は月をあかず眺めることにしよう。
【作者】
1364-1418。源(足利)氏、義詮の男、義満の弟。小河殿と称する。『新続』抄出、五首入集。
【備考】
『新続古今和歌集』巻第十・羇旅歌・993
(改頁)

76_源頼之朝臣(みなもとのよりゆきのあそん、細川)
しつかなる 心のうちや まつかけの 水よりも猶 すゝしかる覧
【歌意】
静かに落ち着いた心の内は、松陰を流れる水よりも涼しいのであろうか。
【作者】
1329-1392。源(細川)氏、頼春の男。室町幕府管領。『新千載和歌集』初出。
【備考】
『新後拾遺和歌集』巻第三・夏歌・274
(改頁)
77_陸奥守源氏清(みちのくのかみみなもとのうじきよ、山名)
あはさりし つらさをかこつ ことの葉に 今たにぬゝる 新枕(にゐまくら)かな
【歌意】
逢わなかった時の辛さをこぼしていたというのに、逢った今でも涙で濡れる新枕である。
【作者】
1344-1391。源(山名)氏、時氏の男。勅撰集の入集は本歌のみ。
【備考】
『新後拾遺和歌集』巻第十三・恋歌三・1116
(改頁)

78_源義将朝臣(みなもとのよしまさのあそん)
春はなを 咲ちる花の なかに落る 芳野の瀧も なみやそふらん
【歌意】
春は今なお咲いては散る花、その中をたぎり落ちる吉野の滝は花の白波もあいまって白波が立っている。
【作者】
1350-1410。源(斯波)氏、高経の男。『新後拾遺和歌集』初出。
【備考】
『新続古今和歌集』巻第二・春歌下・155
(改頁)
79_陸奥守棟義(みちのくのかみむねよし)
こひしなぬ 身のためつらき 命とも さてなからへる 契にそしる
【歌意】
恋こがれて死んでしまうかも知れない。我が身のために辛い命であっても、永らえているのは約束があるからなのだろう。
【作者】
生没年未詳。源(斯波)氏、和義の男、「宗義」とも。勅撰集入集は本歌のみ。
【備考】
『新後拾遺和歌集』巻第十二・恋歌二・1052
(改頁)

80_源貞世(みなもとのさだよ、今川、法名了俊)
秋来ぬと 荻の葉ならす かせの音に 心せかるゝ つゆのうへ哉
【歌意】
秋が来たと荻の葉をならす風の音で知ることができるように、葉に置く露を知らず気にかけるようになることだ。
【作者】
1326-1414。源(今川)氏、範国の男。冷泉派の歌人として活躍し、歌論書も著す。『風雅和歌集』初出。
【備考】
『新続古今和歌集』巻第二・春歌下・358、第四句「心おかるる」。
(改頁)
81_多々良義弘朝臣(たたらのよしひろのあそん、大内)
ひかすのみ ふるの早田(さなだ)の 五月雨に ほさぬ袖にも とる早苗哉
【歌意】
日数だけが経っていく。布留の早田(さなだ)に降る五月雨によって乾くことのない袖で早苗を取ることだ。
【作者】
1356-1399。大内(多々良)氏、弘世の男。二条良基と交流があった。勅撰集入集は『新後拾遺和歌集』の本歌と1118番歌の二首。
【備考】
『新後拾遺和歌集』巻第七・雑春歌・691、第二句「ふるのわさ田の」。
(改頁)

82_源重春朝臣(みなもとのしげはるのあそん)
心なき 尾花か袖も 露そをく 秋はいかなる ゆふへなるらむ
【歌意】
情趣を心解することのない薄であっても涙のような露を置く秋は、どのような夕べなのだろうか。
【作者】
生没年未詳。源氏。『李下集』に足助重春として見える。
【備考】
『新葉和歌集』巻第四・秋歌上・276
(改頁)
83_勝定院贈太政大臣義持(しょうじょういんぞうだいじょうだいじんよしもち)
すむはそら にこるは土と 別にし そのいにしへも 神そしるらむ
【歌意】
清澄なるものは天となり、重く濁るものは地となって天地(あめつち)が別れた、その創成の時について、神は良く知っていることであろう。
【作者】
1386-1428。源(足利)氏、義満の男。室町幕府四代将軍。『新続古今和歌集』初出、六首入集。
【備考】
『新続古今和歌集』巻第二十・神祇歌・2087
(改頁)

84_権大納言源義嗣(ごんだいなごんみなもとのよしつぐ)
霜むすふ 野原の浅茅 うらかれて 虫のねよはる 秋かせそふく
【歌意】
霜が置いた野原の浅茅は葉先が枯れてしまった。虫の音もか細くなって秋風がしきりに吹いている。
【作者】
1394-1418。源(足利)氏、三代将軍義満の男。勅撰集入集は本歌のみ。
【備考】
『新続古今和歌集』巻第四・秋歌上・438
(改頁)
85_源頼元朝臣(みなもとのよりもとのあそん、細川)
郭公 まつよひ過て 難面(つれなく)は 明るくも井に 一こゑも哉
【歌意】
郭公(ほととぎす)の声を待つ宵が過ぎても鳴かないならば、せめて夜が明ける大空に一声鳴いてほしい。
【作者】
1343-1397。源(細川)氏、頼春の男。室町幕府管領。『新後拾遺和歌集』初出。
【備考】
『新続古今和歌集』巻第三・夏歌・232
(改頁)

86_源髙秀朝臣(みなもとのたかひでのあそん、佐々木)
聞馴し 木葉の音は それならて 時雨にかはる 神無(かみな)月かな
【歌意】
聞きなれた木の葉の音はそのままのようであるけれども、神無月になって時雨が降る音に変わった。
【作者】
1328-1391。源(佐々木、京極)氏、高氏の男。冷泉為秀に和歌を学び、歌学書も著す。『菟玖波集』の作者。『新千載和歌集』初出。
【備考】
『新後拾遺和歌集』巻第六・冬歌・465、第三句「それながら」。
(改頁)
87_源詮信(みなもとののりのぶ、桃井)
かこたしな 春や昔の 夜半の月 わか身ひとつの かすむかけかは
【歌意】
愚痴をこぼすことはしないでおこう。「我が身ひとつはもとの身にして」と歎いた春の夜の月は霞に込められていようとも。
【作者】
生没年未詳。源(桃井)氏、直信の男。『新後拾遺和歌集』初出。
【備考】
『新続古今和歌集』巻第十七・雑歌上・1628、第四句「わが身ひとつに」。
(改頁)

88_普広院左大臣義教(ふこういんさだいじんよしのり、源)
夕立の 雲の衣は かさねても そらに涼しき かせの音かな
【歌意】
夕立の雲が衣を重ねるように折り重なっていても、大空からは涼しく爽やかな風の音が聞こえてくる。
【作者】
1394-1441。源(足利)氏、義満の男。室町幕府六代将軍。天台座主も務める。『新続古今和歌集』の撰進を執奏、十八首入集。
【備考】
『新続古今和歌集』巻第三・夏歌・321
(改頁)
89_満之朝臣(みつゆきのあそん、細川)
おもひたつ くもの余所(よそ)めの 偽は あるにうれしき 山さくら哉
【歌意】
花を見ようと思い立って眺めてみると、雲と思っていたのは誤りで、まことに嬉しいことに山桜であった。
【作者】
『新続古今和歌集』では作者を「源満元朝臣」とする。満元は1378-1426。源(細川)氏、頼元の男。室町幕府の管領。『新続古今和歌集』初出。満之は生年未詳-1405。源(細川)氏、頼春の男。伊勢の守護などを任じた。
【備考】
『新続古今和歌集』巻第二・春歌下・121、第四句「ある世うれしき」。
(改頁)

90_源持信(みなもとのもちのぶ、一色)
秋ふかき をのゝ浅茅の つゆなから 末葉にあまる むしのこゑかな
【歌意】
秋が深くなった野原の浅茅の露はしとどに結んで葉の先からこぼれ落ちて、虫もしきりに鳴いている。
【作者】
1401-1434。源(一色)氏、満範の男。勅撰集入集は本歌のみ。
【備考】
『新続古今和歌集』巻第四・秋歌上・435
(改頁)
91_正三位義重(しょうさんいよししげ、斯波)
みなの川 みねより落る 紅葉(もみぢ)葉は つもりてなみを またや染覧
【歌意】
筑波の嶺から落ちて来る紅葉葉は男女(みなの)川に降り積もって、その川浪を錦のように染めていることであろう。
【作者】
1371-1418。源(斯波)氏、義将の男。室町幕府管領。『新続古今和歌集』初出、五首入集。
【備考】
『新続古今和歌集』巻第六・冬歌・630、第三句「紅葉ばも」。
(改頁)

92_源範政朝臣(みなもとののりまさのあそん)
一めみし かたのゝ小野に かる草の つかのまもなと 忘さるらん
【歌意】
一目見たかたちの小野のかる草(あなたのこと)をほんのわずかの間でも忘れることがあろうか。
【作者】
1364-1433。源(今川)氏、泰範の男。『源氏物語』の研究でも知られる。『新続古今和歌集』初出、二首入集。
【備考】
『新続古今和歌集』巻第十一・恋歌一・1019、第二句「かたちの小野に」。
(改頁)
93_素明法師(そめいほうし、東平)
なをさりに なかむへしやは 忘られて 物おもふ比(ころ)の ゆふくれの空
【歌意】
いい加減な気持ちで眺めることができるであろうか。忘れられて物思いに耽るこの頃の夕暮れの空を。
【作者】
1376-1441。東氏、素(*コウ、舟+光)の男。勅撰集入集は本歌のみ。
【備考】
『新続古今和歌集』巻第十五・恋歌五・1468
(改頁)

94_多々良持世朝臣(たたらのもちよのあそん)
さらてたに ほさぬ袖師(そてし)の 浦千鳥 いかにせよとて ね覚とふらん
【歌意】
ただでさえ涙で袖が濡れているというのに、袖師の浦の千鳥はどのようにしろと思って寝覚めを訪うのであろうか。
【作者】
1394-1441。多々良(大内)氏、義弘の男。筑前国守護などを任ずる。『新続古今和歌集』初出、三首入集。
【備考】
『新続古今和歌集』巻第六・冬歌・671
(改頁)
95_平貞国(たいらのさだくに)
鳥のねの つらき計を うつゝにて ゆめにそこゆる あふさかのせき
【歌意】
暁の別れの時を告げる鶏の鳴き声を辛いものと現実に受け止めて、夢の中の逢瀬であったかのように逢坂の関を越えることだ。
【作者】
1398-1454。平(伊勢)氏、貞行の男。勅撰集入集は本歌のみ。
【備考】
『新続古今和歌集』巻第十三・恋歌三・1283
(改頁)

96_慈照院太政大臣(じしょういんだいじょうだいじん、源)
けふはまつ 思ふ計の 色みせて 心のおくを いひはつくさし
【歌意】
今日はまず思っていることだけを明かすことにして、心の奥に秘めたことは言わないでおこう。
【作者】
1436-1490。源(足利)氏、義教の男、義政。室町幕府八代将軍。和歌を好み、『新続古今和歌集』(二十一番目)につぐ勅撰和歌集の編纂を試みたが、実現しなかった。
【備考】
勅撰集入集なし。
(改頁)
97_太智院贈太政大臣(たいちいんぞうだいじょうだいじん、源)
友もなき 夜半の枕の たちはなや むかしをかたる にほひなるらん
【歌意】
友もいない一人寝の枕の橘は、昔を偲ばせる薫香であるだろう。
【作者】
1439-1491。源(足利)氏、義教の男、義視。法号、大智院久山道存。作者名の「太智院」は正しくは「大智院」。
【備考】
勅撰集入集なし。
(改頁)

98_源常徳院(みなもとのじょうとくいん、太政大臣)
霞とも 花ともいはし 初せ山 ひはらにくもる 春のよの月
【歌意】
春霞であるとも桜であるとも見分けがつかない。檜原にさえぎられて春の夜の月が雲っている。
【作者】
1465-1489。源(足利)氏、義政の男、義尚。室町幕府九代将軍。一条兼良に政道や歌道を学んだ。
【備考】
勅撰集入集なし。
(改頁)
99_恵林院(ゑりんいん、太政大臣 源義稙(よしたね))
日をそへて 袖の湊も せきあへす 身をしる雨の うらのみたれに
【歌意】
日数が経つにつれて袖の湊でも堰き止めることができなくなった。身の拙さを知る恨みの涙によって。
【作者】
1466-1523。源(足利)氏、義視の男、義稙。室町幕府十代将軍。将軍職を失った後、諸国を流浪したため「流れ公方」「島公方」とも呼ばれた。
【備考】
勅撰集入集なし。
(改頁)

100_源義髙公(みなもとのよしたかこう、太政大臣)
月みはと 契りや置し 佐男鹿の 来る秋ことの つまこひのこゑ
【歌意】
月をともに眺めようと約束をしたのであろうか。秋になると妻恋の牡鹿の悲しい鳴き声が聞こえる。
【作者】
1481-1511。源(足利)氏、政知の男、義高、義澄と改名。室町幕府十一代将軍。
【備考】
勅撰集入集なし。
(改頁)
[跋文]
和哥は我国の風俗として皆人のもてあそひとなれり、武門の身にしては弓馬のいとなみしけく、外の学に心をよする暇なからまし、されとも古今集の序に貫之かかける言葉に、たけきもののふの心をもなくさむるはうたなりといへるためしに、源平ふたつの家のみにあらす、もろもろの武将和哥をつらね侍るもおほけれは、京極黄門の小倉の山庄の障子にかきをかれけるかすになそらへて、武士百人の哥をひとつつゝかきて武家百人一首と名付侍るにこそ、
(改頁)

しかあれと哥のよしあしをえらひさたむるにあらす、撰集に入ても哥のかすすくなく、ひとりひとつふたつのたくひおほし、あるはかなふみにみえ侍るなとをめにふるゝを幸にして、唯武将の名たかきをもらさす、うたにほまれある人をも捨かたくかきあつめ武士百の名をあらはし侍らんためならんかし
元禄十六歳六月上旬 渋川清右衛門
*元禄十六年は西暦1703年
(改頁)
[奥付]
十二月異名 (省略)
書画一筆 洛西並岡山麓 下河辺拾水
天保二年辛卯新刻
同十四年癸卯補刻
三都書林
京 吉野屋仁兵衛
江戸 須原屋茂兵衛
同 山城屋佐兵衛
同 岡田屋嘉七
同 丁子屋平兵衛
大坂心斎橋通博労町角
河内屋茂兵衛