白雄先生初称昨烏信州之人父上田候の臣加舎某也 先生志気高邁放棄世事慕芭蕉翁之蹤游歴海内止于東都師事于松露□主業成矣 先生別廬而号春秋庵居焉矣東都繁華壮麗曽国朝会之地也 先生唱俳歌師于公侯可謂実斯道之秀矣 寛政己亥秋九月病終 享年五十七矣 葬于品川海晏寺墳 諡徹心白雄居士云
青木九峨謹識(印)(印)
白雄先生小伝
白雄先生初称昨烏信州之人父上田候の臣加舎某也 先生志気高邁放棄世事慕芭蕉翁之蹤游歴海内止于東都師事于松露□主業成矣 先生別廬而号春秋庵居焉矣東都繁華壮麗曽国朝会之地也 先生唱俳歌師于公侯可謂実斯道之秀矣 寛政己亥秋九月病終 享年五十七矣 葬于品川海晏寺墳 諡徹心白雄居士云
青木九峨謹識(印)(印)
(改頁)
註:白雄肖像。頭部と手のみに薄い肌色の着彩がある。
虎杖庵に御柳とよぶひと木ありて其葉絲のごとくみどりに未央柳に似て花紫なり。一蟲あり、其葉をこまやかにうち着たる。いほのいとまにくひきりけんかし雨に田蓑の其さますぐれてうつくし。秋風ふかバいかに啼らん、なつかしくもつくづくまもり侍りて
木螺(みのむし)のみのだに青き卯月かな
此日青嵐いたく吹けるがさらに其蓑のそこねざるはいかなるちぎりありてや
白雄戯れにいふ(花押)
(註:白雄の自筆を模刻)