[解題]

表紙画像をクリックすると原本の高精細画像が表示されます。
[翻刻]ボタンをクリックすると底本の高精細画像が表示され、翻刻を読むことができます。

夢想兵衛胡蝶物語 巻之五 貪婪国
夢想兵衛胡蝶物語 巻之五 貪婪国

翻刻

長野県図書館協会 宮下明彦

馬琴はその自序で、「昔荘子、夢に胡蝶となれば、栩々然(くくぜん)として胡蝶なり。みづから意を得て、荘子たるをしらず。俄然として覚(さ)むるときは、遽々然(きょきょぜん)として荘子なり。荘子が夢に胡蝶となるか、胡蝶の夢に荘子となるか、覚めて後なほ疑へり。物の変化限りなし。浮世は恰も大夢(たいむ)に似たり。」と述べている。

この夢想兵衛胡蝶物語は前編巻之一・発端・少年国、前編巻之二色欲国上品、前編巻之三色欲国中品・下品、前編巻之四強飲(ごういん)国、前編巻之五貪婪(どんらん)国、後編巻之一食言郷(しょくげんきょう)、後編巻之二煩悩郷(ぼんのうきょう)、後編巻之三哀傷郷、後編巻之四歓楽郷(かんらくきょう)からなる。

 

以下、前編巻之四強飲国から酒茶論の一部を抜き書きしてみよう。

「史記にも酒の徳を賞めて百薬の長といふ。博物誌にもその功見えて、王肅(おうしょう)、張衡(ちょうこう)、馬均の三人、まだ明けやらぬに霧を犯して、山路をゆくことありけるに、一人は飽くまで飯を食ひ、一人はしたたか酒を飲み、一人は茶ばかり何も食わず。かくして山路にさしかかれば、空腹のものころりと死し、飯を食うたは病み患ひ、酒を飲んだものばかり、山気の悪邪も犯しえず、健やかにして帰りしことあり。」と、

また、「茶という文字を分けて見よ。草木の間に人あり。酒という字は水辺に鳥と書けばいといやしく、彼の人倫の茶に及ばず。」と、

またいう、「是はこれ広雅に所謂、茶を飲めば酒を醒まし、人をして眠らざらしむ、といふを取れり。且つ茶は天工の飲み物なり、酒は人作の飲み物なり。人作いかで天工に及かん。」

さらに、「元正(げんしょう)天皇の御宇かとよ。美濃国の貧民父に孝なり。その父酒を好むといへども、飽くまですゝめ難かりしに、或る時山に入りて木を伐るに、れい泉あって流れ出づ。掬(むす)びて飲めばこれ酒なり。歓びこれを毎日に汲みて、我が家にもて帰り

老いたる父を養ひにき。そのよし都に聞こえしかば、天皇深く賞めさせたまひて、養老と改元あり。」と。

老荘思想を批判して儒教主義の立場をつよく主張したこの書物は,発刊当時一世を風靡したといわれる。小説創作における虚構と事実の問題、勧懲主義、人情論などに興味ぶかい叙述がみられる。

文章は講談調で次々と展開し読むものをして飽きさせない。