[解題]

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落噺無事志有意
落噺無事志有意

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NPO法人上田図書館俱楽部 園原覚

 烏亭焉馬は江戸時代後期の戯作者で、大工の棟梁の子として生まれ、自身ものちに町大工の棟梁となる。

 幼いころから俳諧や狂歌をたしなみ、芝居好きが高じて浄瑠璃を自ら制作するほどであった。

 また、五代目市川団十郎を贔屓にしており、「三升連」という組織を作って団十郎を援助し、団十郎の顕彰を目的に刊行された『花江都歌舞伎年代記』は江戸時代の歌舞伎を知る貴重な資料となっている。

生涯を通じて洒落本や滑稽本、黄表紙などの執筆など活動は多岐にわたり、1786年には新作の落噺を披露する「咄(はなし)の会」を向島の料亭にて催し、当時下火となっていた江戸落語の再興のきっかけをつくり、初代三笑亭可楽や初代三遊亭円生などの落語家が世に出る基盤を築き、「江戸落語 中興の祖」と呼ばれている。

その「咄の会」で様々な文芸家たちによって披露された噺を集めたものを『咄し売』、『喜美談語(きびだんご)』、そして本著『無事志有意』として発行した。

「蛇」や「湯どうふ」、「星」など庶民に身近なものを扱った噺や、「そゝか」など当時の粗忽者や庶民の生活を反映した噺など、

1787年の寛政の改革の一つ、幕府の政策批判を禁ずる「処士横議の禁」に関連する出版規制などが布かれる中で咄の会にも禁令が発布されていたが、精力的に活動を続け、江戸の文人たちの多くが咄の会へ通った。

そんな焉馬のもとには『浮世風呂』の式亭三馬や『偐紫田舎源氏』の柳亭種彦なども訪れ、門弟には初代立川談笑や三遊亭銀馬など著名な落語家がいる。

『無事志有為』の冒頭では「河豚に大根、鴨に葱、市が榮る下津町、祖父は山の手父母は川端橋々に、咄の評判四里四方、聞くべい見るべい話すべい、庚申まちに白猿が、三筋たらねへ序のせり譜、福茶にうかれた戯言と、ホヽうやまつて、坊主にはなりませぬ。」と、古典や御伽噺などの調子を織り交ぜた、あらゆる文芸分野に関心と才覚を有した焉馬らしい噺始めがうかがえる。