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わがこころ
原本は秋田佐竹家旧蔵、辻兵吉蔵 写本内閣文庫・国立国会図書館。
活字本 真澄遊覧記刊行会、『菅江真澄遊覧記1』、新編信濃史料叢書第一〇巻
概要
菅江真澄は天明三年の春から信濃国筑摩郡に滞在していたが、更級の姨捨山に月を見ようと、心のあった仲間と八月十三日、まだ夜も明けきらぬうちから本瀬馬の里を出た。
松本藩の岡田の番所、刈谷原を通り、会田の宿で一泊。十四日は雨天の中、太刀峠、赤豆坂を越え、青柳の宿場に着き、切り通しを経て麻績の里に休んだ。翌日、猿が番場峠を越え、日も高いうちに中原(更埴市)というところに着いて宿をとった。しばらく横になって月の出を待った。
十五日、雨雲は残りなく晴れて、桑原、嶺村を経て姨捨山に登る。
少年の頃、姨捨を訪ねたことや『大和物語』の話、古今和歌集の「わが心なぐさめかねつさらしなやをば捨山にてる月を見て」の話が出てくる。
そして、その夜の月見の様子を「沢水の音も静かで、すだく松虫の声ももの哀れな夕暮れなので、人の心もことに澄み渡り、なにかと口になかでつぶやきながら、煙草をふかしたり、…漢詩や和歌やら、良い句が浮かんだでしょう、などひそかに語り、…その語よりもこのほうが趣がまさっている等と、ある者は空を仰ぎ、あるいは膝の上に額をあてて、若い人も背をかがめて詩歌を吟じ、短い柄の筆を取り上げてなめるものもいる。また、寝茣蓙を敷き、重箱を開いて盃を手にしているものは、月を見ることも忘れて、酒宴に心奪われて提子(酒器)をとっている…この下の方の平らな岩の上では、香をたき、男女集まって月の出を待ち、南無阿弥陀仏と数珠をすりながらひたすら唱え、月を拝する真情があふれている…。宵も過ぎるころ、おもむろに月は、向こうの鏡台山という遠い山の頂の雲の中から、ほのぼのともれ出てきたが、やがて残るくまもなく照り渡り、千曲川の流れは白銀を敷いたかのように眺められ、美しさはこの上もなく、世にたとえようもないほどであった」と述べている。
16日は神宮寺に詣で、善光寺に向かった。同行者には対馬から来たという昨夜会った人と同行した。小松原というところで、綱を引いて渡す船で川(犀川)を渡り、小市村に着き、裾花川も舟渡で渡って善光寺に着いた。
17日に帰途に就き、ふたつ柳、塩崎、稲荷山を過ぎ猿が番場峠を越え青柳に宿した。18日から19日には浅間温泉で疲れを癒した。松本を過ぎて、村井の辺で、姨捨山で一夜を語り知り合った紀ノ国田辺の里の人と「これはこれは、ご一緒に親しく月を賞でた友ではありませんか」と語り合った。