[解説]

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旧上田藩学制沿革取調書 全
旧上田藩学制沿革取調書 全

東御市文化財審議会 寺島隆史

文部省は明治16年(1883)全国の各府県と旧藩主等に通達・委嘱して、学制発布以前の藩校ほかの学事の実態についての調査報告を求めている。そして同23~25年には、それをまとめて『日本教育史資料』(24巻9分冊)として刊行しており、上田藩についても同資料の第一巻に収録されている。

上田図書館「花月文庫」の本書は、奥書よりこの折に旧上田藩主松平忠礼(恭斎)が報告した調査書の写本と知られる。『日本教育史資料』に主要事項は収録されているのだが、それは長野県からの進達書によっているとみられ、本書の記述の方がはるかに詳細にわたっている。

ところで、「藩」とは、かつての意味合いは今とは違い、大名とその家臣団(家中)をさすだけのものだった。本書も同様で「松平藩」の藩祖忠晴が寛永19年(1642)、駿河田中に封ぜられて大名になって以降の藩(松平家中)の学問について述べている。松平氏はその後も転封を重ねた後、3代忠周のとき宝永3年(1706)信濃上田へ入封し、以後は明治維新にまで至っている。

上田藩校は文化9年(1812)、現在の上田市立第二中学校の地に開設された。これについては、一般に「明倫堂」と言われる。しかし、本書にも見える通り、その正式名称は「文学校・武学校」または「文武学校」であり、文学校は「明倫堂」、武学校は「演武場」とも称されたというものだった。

本書では、上田藩校の沿革、制度等については無論だが、藩儒やその教員の小伝もかなり詳しく、墓碑銘が採録されている者が多いことも注目されよう。『小県郡史』(余篇、大正12年刊)や『上田市史』(下巻、昭和15年刊)でも、藩校や人物誌の叙述については本書からの引用が多い。