陸路廼記

画像をクリックすると原本の高精細画像が表示されます。

『信濃名勝詞林』より陸路廼記
陸路廼記

解説:長野郷土史研究会 小林一郎

『陸路廼記』は、明治11年(1878)の北陸・東海道巡幸に随行した紀行文です。著者は、宮内省御用掛の近藤芳樹(1801~1880)です。『信濃名勝詞林』は、その中の長野県内の部分を掲載しています。

明治天皇の巡幸

明治天皇は、明治時代前半に6度にわたって地方を巡幸しています。これは新しい時代の到来を国民に実感させるという、政治的な意味がありました。『陸路廼記』は、この中の第3回目、明治11年の北陸・東海道巡幸の紀行文で、東京出発から京都滞在中の10月18日までを記しています。

北陸・東海道巡幸の旅程

明治11年8月30日に東京を出発した明治天皇は、浦和、桶川、熊谷、新町、前橋、松井田に宿泊して、9月6日に長野県に入りました。長野県内の昼食地と宿泊地は次の通りです。

9月6日 昼食 軽井沢 宿泊 追分

7日 昼食 小諸 宿泊 上田

8日 昼食 下戸倉 宿泊 長野

9日 宿泊 長野

10日 昼食 牟礼

以後、新潟、富山、金沢、福井、大津、京都、岐阜、名古屋、静岡等を経て、11月9日に東京に帰っています。

『陸路廼記』の出版

『陸路廼記』は、明治13年(1880)4月に宮内省蔵版(上下2冊)として出版されました。同年6月の版もあります。序文は、明治12年8月に宮内大輔杉孫七郎が書いています。冒頭の「附言」によれば、後篇として京都から東京までを「海道(うみつぢ)の日記(にき)」として出版する予定でしたが、実現しませんでした。

「陸路廼記」という題

表紙の題箋や見返し(表紙裏)には「陸路廼記」とありますが、それ以外の内題は「くぬかちの記」となっています。国立国会図書館はこれを用いて、書名を『くぬかちの記』としています。読みは「くぬがじのき」です。「くぬが」は「陸」のことです。

近藤芳樹

周防国岩淵村(山口県防府市)に生まれ、国学を学んだ後、長州藩士近藤家を継ぎました。明治8年(1875)から宮内省に出仕して、文学御用掛を務めました。明治9年の東北・北海道巡幸に随行し、その紀行文『十符之菅薦』を書いています。著書は他に『明治孝節録』『万葉註疏』などがあります。