信濃下向日記

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『信濃名勝詞林』より信濃下向日記
信濃下向日記

解説:長野郷土史研究会 小林一郎

『信濃下向日記』は、天明6年(1786)に国学者で歌人の荒木田久老(1746~1840)が伊勢御師として信濃に下り、善光寺周辺の村々を巡った時の日記です。原本は伊勢を出発する前の3月1日から、8月24日に帰宅するまでの約半年間の毎日の日記で、長野郷土史研究会の機関誌『長野』35号に、「荒木田久老信濃下向日記」として全文が翻刻されています。「五十槻園(いつきのその)旅日記」という別称もあります。『信濃名勝詞林』は、その中の一部を抄出して掲載しています。

荒木田久老

伊勢御師の度会(わたらい)家に生まれ、やはり御師の荒木田家の養子となりました。賀茂真淵に国学を学び、万葉集の研究で知られています。著書には『万葉考槻落葉(まんようこうつきのおちば)』『続日本後紀歌解(しょくにほんこうきうたのかい)』『竹取翁歌解(たけとりのおきなのうたかい)』『信濃漫録』などがあります。伊勢御師として信濃に檀家を持ち、天明6年(1786)、享和元年(1801)、享和2年(1802)に信濃に下って檀家を回っています。善光寺町の東之門町に御旅屋(おたや)があり、そこを拠点に檀家を巡りました。

天明6年の回村

3月8日に伊勢を出発して、3月20日に善光寺町東之門町の御旅屋に入ると、5月4日から7月21日まで、北は牟礼(飯綱町)、西は戸隠、東は相之島(須坂市)、南は大豆島(長野市)の間を巡りました。そのうち『信濃名勝詞林』に掲載されている日と場所は、次の通りです。

3月28日(善光寺町東之門町)

4月11日(善光寺町東之門町)

4月24日(八幡原古戦場を通って松代へ)

5月26日(善光寺町東之門町)

5月27日(東之門町から茂菅村へ)

6月2日(小鍋村)

6月6日(戸隠中院)

7月15日(善光寺町東之門町)

これは『信濃下向日記』の中から和歌(短歌、長歌)が記されている部分を中心に抜き出しているわけですが、ここに抜き出されていない和歌もたくさんあります。