画像をクリックすると原本の高精細画像が表示されます。
上田の獅子舞 房山獅子
上田獅子は、上田市内の旧常田(ときだ)・房山(ぼうやま)の両村に伝わった常田獅子と房山獅子の総称で上田市の芸能を代表するものでもある。ともに古くから両村の祇園祭に行われていた獅子舞だが、真田昌幸による天正11年(1583)の上田築城の地固めの際に召されて舞ったと伝えられている。以来、城祭とも呼ばれた上田の祇園祭に際しては、城主居館(現上田高校)前の「広庭」に舞い込んで踊ったものだった。
常田と房山は、城下町続きで街道沿いの街場化が進んだ村でもあったが、上田城下町自体が、北半部は房山村の地に、南半部は常田村の地に形成されたものでもあり、それ故に上田築城・城下町形成当初から両獅子舞が、上田の一番の祭りに登場していたものと考えられる。
上田のこの両獅子舞は、三人一組で踊る三頭(みかしら)獅子というもの。この形式は、中部以東から関東・東北にかけて分布し、上田市内では、ほかにも上室賀、下室賀、前山、保野、下之郷などでも伝えられている。長野県内では東信地方だけに分布していて、上田地域のものはこの系統の獅子舞の西の境界にあたっている。
上田獅子は明治維新後は市の特別な祝賀行事のある折にだけ出るようになっている。
本稿は飯島花月がこの両獅子舞について、その起源や唄、装束等について研究・考証したもの。「明治三十三年雪堂主人(花月)未定稿」と見えるが、その後の検討分も補充されている模様。『上田市史 下』(昭和15年刊)の「常田、房山獅子躍」の項は本稿からの引用が多い。