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[解題]
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「無理に脱がせし羽織を取て彼(かの)料理やの軒下の泥水へ投込て駒下駄で踏みすゑる。(巻の七第一条より)」。
一人の男性に恋心を抱く二人の芸者、恋敵の芸者が男性に羽織を贈ったことを知って激昂し、その羽織を男性から剥ぎ取って、泥水へ投げて、それを踏みつける。
人情本『春色辰巳園』の一節であり、歌舞伎『梅ごよみ』の有名な一幕でもある。
江戸時代後期、庶民の色恋を描いた「人情本」は、男性目線で描かれた文芸作品が多くを占めていた中で、当時出版された地本(大衆を対象とした書物)の中でも若い女性を中心に大きな人気を博した。
『春色辰巳園』を著した為永春水は、書肆(当時の書店)「青林堂」を営む傍ら、浮世絵師の式亭三馬に師事し、講釈師として高座にも上がっていた。
その間に『浦里時次郎 明烏後の正夢』など多くの地本を出版していたが、1829年に青林堂が火事により焼失、1832年には人情本『春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)』を刊行し、人情本の第一人者となる。
遊女屋「唐琴屋」の養子である夏目丹次郎と、深川芸者の米八や同じく芸者の仇吉など丹次郎を取り巻く女性たちのやり取りを描いた『春色梅児誉美』が高く評価され、続編の本著『春色辰巳園』、『春色恵之花』、『春色英対暖語』、『春色梅美婦禰』と続いていく。
1787年の寛政の改革の一つ、幕府の政策批判を禁ずる「処士横議の禁」に関連する出版規制が布かれる中で、春水の描く庶民の生活に根ざした人情本は、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』、柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』と並び、「四大奇書」と呼ばれ、当時の庶民の中で大いに流行した。
その後の天保の改革で、庶民への影響力が大きく、風俗を乱すとして春水は捕えられ投獄、春水の人情本は絶版を命じられたが、『舞姫』の森鴎外や『宮本武蔵』の吉川英治ら明治時代の文豪たちにも影響を与えたといわれている。