画像をクリックすると原本の高精細画像が表示されます。
[解説]
『信濃奇談』が出版された事情
国書データベースは、『信濃奇談』を中村元恒(中倧)著、堀内元鎧編としています。中村元恒(もとつね)の序文と末尾の「堀内玄逸墓表」によれば、堀内元鎧(げんがい)は元恒の子で、文政12年(1829)に23歳の若さで死去しました。元鎧は父元恒が口述した信濃の奇談を記録していました。そこで元恒は、「堀内元鎧録」としてこの『信濃奇談』を出版しました。この本が我が子を追悼するために出版されたことは、末尾に「堀内玄逸墓表」が付いていることからも分かります。
『信濃奇談』の内容
書名に「信濃」とありますが、信濃全域ではなく、高遠藩領内を中心に奇談・奇話を集めてあります。また単なる奇談集ではなく、和漢の多数の文献を参照して考察を加えてあるのが特色です。中村中倧の広い学識をうかがうことができます。
中村元恒と堀内元鎧
中村元恒(1776~1851)は、中倧(ちゅうそう)の号で知られ、歴史上の人物としては中村中倧と呼ぶのが普通です。『長野県歴史人物大事典』(郷土出版社)や『長野県姓氏歴史人物大辞典』(角川書店)には、中村伯先、中村中倧、中村黒水(元起)、中村弥六の、4代にわたる4人が掲載されています。長野県で4代続いて著名人を輩出した家系は、藩主などを除けばほとんど例がありません。中倧は医者で、儒者として高遠藩(伊那市高遠町)に仕えました。信濃の史料を集めた『蕗原拾葉(ふきはらしゅうよう)』150巻を編さんしたことで知られています。堀内元鎧(1807~1829)は中村中倧の長子で、黒水(元起)の兄です。松本藩の医師堀内玄堂の養子となり、堀内姓を名乗りました。
『信濃奇談』の評価
『信濃奇談』は、明治以後の『古事類苑』『広文庫』『大日本地名辞書』といった辞典類に引用されています。また『国書解題』『群書索引』といった日本の基本的な書籍を扱った書物も取り上げているなど、『信濃奇談』は高く評価されています。