前編

所要時間
第1章 寺子屋・私塾
あらまし

手習、読み書き、算盤等を教えた。信濃の国の寺子屋数は全国一。信州の寺子屋師匠は農民が56%を占め、四書等の素読や詩歌・俳諧・謡い・作法などを教える者もいた。私塾には遠方からの入門者もあった。

2分17秒
1 子檀嶺神社~上田藩領小沢根村清住氏の寺子屋(上田市) 4分13秒
2 毘沙門堂・活門禅師の私塾(上田市) 1分23秒
3 寺子屋・宮下塾(飯田市) 3分50秒
第2章 藩校
あらまし

藩士の子弟対象の教育機関、文武両道が教育の二大目標。学科は四書五経から和漢の史書や詩文、幕末から明治にかけては洋学や数学も。武の教育は弓馬槍剣柔から銃砲術や兵学等

1分28秒
1 松代文武学校(長野市) 4分57秒
2 高遠藩進徳館(伊那市) 5分45秒
第3章 学校・郷学校
あらまし

明治2年からの短い期間、地域住民が設立した郷学校があった。

維新政府は明治5年8月に学制を発布。国民皆学が大方針として宣言され近代教育がスタート。出発当初の就学率全国最高位は筑摩県、学資総計額は旧長野県だった。筑摩県教育権令永山盛輝、『説諭要略』

2分37秒
1 郷学校・日新館(長野市) 1分51秒
2 麻績学校(飯田市) 2分26秒
3 開智学校(松本市) 1分55秒
4 成知学校(旧中込学校 佐久市) 1分59秒
5 格致学校(坂城町) 4分12秒
6 和学校(東御市) 0分56秒

後編

所要時間
第1章 長野県師範学校
あらまし

明治9年8月、筑摩県と旧長野県が合県の際、両師範学校を統合して長野県師範学校が発足。初代専任校長能勢栄、第三代校長浅岡一、信州出身校長の正木直太朗、「信濃の国」作詞者浅井洌

2分58秒
1 長野県師範学校(長野市) 0分54秒
2 信州大学教育学部正門の碑(長野市) 4分09秒
第2章 中等教育・女子教育
あらまし

長野県中学校網敷設は明治32年に2校制(松本・長野)、33年に4校制(松本・長野・上田・飯田)、39年までに8校制と順次拡張。明治29年4月長野高等女学校創立、発案者渡辺敏。明治33年に松本高等女学校、34年に上田高等女学校と下伊那高等女学校が開校

2分20秒
1 県立中学校 2分38秒
2 長野高等女学校(長野市) 2分29秒
第3章 実業学校等
あらまし

明治25年に小県蚕業学校設立、校長に三吉米熊が就任。明治28年郡立上伊那簡易農学校、33年に西筑摩郡立乙種木曽山林学校設立、卒業生の多くは県内外で活躍した。明治31年に後の松本商業になる私学が、33年には市立長野商業が設立された。

2分12秒
1 小県蚕業学校(上田市) 2分38秒
2 松本商業学校(松本市) 2分44秒
3 上伊那農業学校(伊那市)・木曽山林学校(木曽町) 0分50秒
4 旧長野師範学校教師館・旧ダニエルノルマン邸(長野市) 3分30秒
第4章 高等専門教育機関-上田蚕糸専門学校
あらまし

長野県には高等専門教育機関が無かったが、明治43年に上田蚕糸専門学校が設立され初代校長に針塚長太郎が任命された。明治44年4月に第1回の始業式が挙行され上田蚕糸専門学校が発足した。

2分09秒
1 上田蚕糸専門学校(上田市) 2分01秒