財団法人 文化財建造物保存技術協会
前重要文化財勝興寺本堂修理設計監理事務所長 今井成享
前重要文化財勝興寺本堂修理設計監理事務所長 今井成享
勝興寺の境内(けいだい)は、戦国時代の城郭跡と云われる堀と土塁(どるい)に囲まれており、出入りはあるものの東西が約百六十m、南北が約百九十mで、およそ八千三百坪の広大な敷地を有している。
境内の玄関口である総門(そうもん)を潜ると、境内南半には本堂を中心として宗教的な堂舎(どうしゃ)が建っている。本堂正面に唐門(からもん)、その脇に手水屋(てみずや)と鼓堂(こどう)、本堂の南東に経堂(きょうどう)と鐘楼(しょうろう)、北側に御霊屋(ごれいや)が立ち並んでいる。一方、北半には住宅としての殿舎(でんしゃ)が軒を連ねている。正面入口に式台門(しきだいもん)、そして北より台所、式台(しきだい)、大広間(おおひろま)、書院(しょいん)、奥書院(おくしょいん)、御内仏(おないぶつ)と甍(いらか)を重ね、更に南側に宝蔵(ほうぞう)、北西隅に土蔵二棟が建っている。これら堂舎群と殿舎群には、江戸時代の建築が十二棟もその姿を留め、何れも重要文化財に指定されている(鐘楼と土蔵を除く)。
殿舎の方は住宅である故、永い歴史の間には用途や生活様式等が変遷し、これに伴なって建替えられてしまう寺院が殆んどである。しかし、勝興寺では堂舎との対として、良く江戸時代の真宗寺院の様子を伝えており、この点こそ勝興寺の価値の最も高いところである。個々の建物のみならず、伽藍全体としての俯瞰が、勝興寺の真価である。
江戸時代後期の享和三年(一八〇三)の様子を描く木版画「二十四輩順拝図会」を見ると、境内中央の東西方向に土塀が描かれており、当時は南北を明確に劃していた事が判る。