文化財の修理は、綿密な破損調査、修理方針の立案、施工の技術監理などが重要な仕事である。しかし、具合の悪い所を修理するだけではなく、工事中に種々の調査も並行して進めている。建立の経緯とその後の沿革、改造の時期と内容、建築的な特徴と技法など多岐に亘り調査を行なっている。本堂に於いては、これらの調査の成果として、歴史面では、建立が江戸時代後期の寛政七年(一七九五)と記される古文書の裹付けがとれた事と、棟梁が瀧川喜右ヱ門である事が初めて明らかになった事である。改造に関しては特に、屋根が修理前では瓦葺だったが、建立当初には鉛板葺であった事である。鉛屋根は、全国でも三棟(高岡市の瑞龍寺仏殿、金沢城石川門・三十間長屋)しか現存せず、四棟目の大きな発見であった。何れも加賀藩に所在しており、加賀藩の文化の独自性が浮彫りとなった。
この他にも種々の新知見を得る事が出来、後頁に概説した。本年三月刊行の修理工事報告書よっても公に紹介したので、本堂の理解が深まり、建築的価値がより一層高く評価される事であろう。