開かれた文化財

 かつての文化財は、「保存」を目標に掲げ、現在の姿をその儘そっと未来へ伝えていく事に重点を置いていた。「文化財には釘一本も打ってはならない」との通説は、これを象徴している言葉であろう。しかし、八年前より「保存」だけではなく「活用」の重要性も認識され始めた。その「活用」の具体的な内容としては、例えば建物の一般公開等や、集会の場・コンサートホール・喫茶店等としての利活用で、現在では、「保存」と「活用」を車の両輪に例え、積極的な活用が望まれている。
 文化財の修理現場に於いては、かつては一般の見学者を温かく受け入れる土壌は殆ど無かった。一般公開見学会の草分は、島根県の美保神社の修理工事現場で、今から十一年前の平成六年である。その後、少しずつ他の修理現場にも拡がり、現在では全国殆どの現場で普通に見学会が行なわれる状況に至っている。
 勝興寺本堂の修理工事中には、一般公開見学会を毎年一度ほど開催し、毎回予想を上回る大勢の老若男女が脚を運んで下さった。この他、特に見学希望の個人やグループがあれば、現場作業に支障が無い範囲内で受容れる様に努めた。この際、地元伏木のボランティアグループ「比奈の会」の会員による解説も少なくなかった。見学者の総数は、三万一千名を超える集計結果を得、文化財への関心の深さと広がりを実感した。又、地元写真愛好家の「写友会」による工事状況撮影会が、年二度ほど行なわれ、郵便局や銀行のロビー等に於いて毎回発表会が催され衆目を集めた。

境内配置図
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 平成十四年八月には、金沢・高岡の伝統と交流展開催委員会主催の「金沢・高岡の伝統と交流展」が高岡市内の百貨店に於いて、翌十五年十月から十二月には、高岡市立博物館に於いて「百万石の大工さん」展が開催され、本堂の工事資料(建築部材など)や模型および修理工事に携わった田中棟梁の大工道具等が展示された。両者とも過去の展示会の入場・入館者数の二~三倍にも昇り、特に前者は約一万人の入場者を数える盛況であった。 特筆すべきは、建築士会と地元一般住民等が集う「勝興寺さま技法研究会」が、平成十一年九月に発足した事である。本堂の修理工事を通して、本堂の建築や歴史そして文化財について学ぼうとする会で、富山県建築士会の研究助成を受けている。毎月一回の勉強会に凡そ二十名が集まるが、時には現場の工事の進捗内容に即した実技も行なった。例えば、漆塗や土壁塗の体験として、職人さんを先生役とし、実際に会員が手を動かしてみる実技である。本年五月二十八日の本堂修復落成慶讚法要と翌日の蓮如上人五百回遠忌法要には、会として初めて勝興寺のお手伝にも参加した。本年九月には満六年を迎えようとしているが、全国で初めて芽生えた、文化財修理現場と直接結ばれる勉強会である。
 以上の地元による種々の活動は、文化財の新しい胎動であり、文化財の「活用」の新しい姿の一つと云えよう。今、勝興寺は全国に先駆けて正しく文化財の旗手を担っているのではないだろうか。

「二十四輩巡拝図会」享和3年(1803)
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