本堂の沿革

財団法人 文化財建造物保存技術協会         
前重要文化財勝興寺本堂修理設計監理事務所長 今井成享

 本堂は、勝興寺の本山にあたる京都西本願寺の水口(みなぐち)棟梁が本願寺阿弥陀堂(本堂)に倣い基本設計を立て、加賀藩御大工・山上善五郎の二度の現地技術指導を得た事が古文書に記されている。今回の修理工事では「御大工瀧川喜右ヱ門正」の墨書(ぼくしょ)を建築部材より発見し、瀧川喜右ヱ門(きえもん)が現場で采配を振るった棟梁である事が判明した。
 建立年代については、古文書により寛政七年(一七九五)とされていたが、今回の工事で襖の下地に「寛政七乙卯歳 御遷仏」の墨書を発見し、古文書の裏付がとれた。この他に、寛政七年の御遷仏(せんぶつ)御祝儀帳である古文書も新たに見つける事が出来た。寛政七年は、今からおよそ二百年前で、江戸時代後期となる。しかし、この時に全てが完成していた訳ではなく、門徒の寄進により、漸次仕上がっていった事が、墨書や刻銘(こくめい)などの発見により、明らかとなった。内外陣境(外陣の正面)の巻障子は七年後に建て込まれ、更に七年後にその上の欄間彫刻(牡丹の彫刻)が取付けられ、文化六年二八〇九)になって今見る姿に整った。