勝興寺には、昔から語り継がれている七不思議がある。その内、二つの話が本堂に係るものである。一つは「屋根を支える猿」で、「軒下の四隅に猿がいて、屋根を支えている。正面向かって右隅の猿は、左腕が無いため右腕と頭で屋根を支えているが、力足りずその下の柱が弓なりに曲がった」と云う話である。今回の工事で、猿の彫刻を目の当たりに見る事が出来る様になった。それは、高さ約十五cmの大変小さなもので、欅(けやき)の一木造(いちぼくづくり)である。無いとされる左腕はちゃんとあり、後側を見ると褌(ふんどし)を締めている。この他には何も身に着けていないので、猿では無く鬼の部類と考えられる。屋根の鬼瓦と同様に悪魔祓いの為の鬼か、あるいは小悪魔を演じる天邪鬼(あまのじゃく)であろう。
もう一つは「魔除けの柱」である。「外陣の向かって左奥の柱一本だけが、材質の違った赤松で逆さ柱として使用されており、この時代では何か一つ欠点を作り魔除けとした」と伝えられている。今回、木材の専門家に鑑定を依頼したところ、赤松では無く桜であることが判った。魔除けに関しては、日光東照宮の陽明門(ようめいもん)が有名である。陽明門には、十二本の柱があり模様が彫られているが、一本だけその模様の上下が異なっている為、魔除け柱と呼ばれている。魔除けの思想のヒントは、鎌倉時代の随筆「徒然草」に得る事が出来る。そこには、「全て何も皆、完全に整っているのは良くない事である。未完成である部分をそのままにして置くのは、興味深く、生き延びる技である。皇居が造営される際にも、必ず完成させない所を残すものである。天高く昇り詰めた龍(栄華を極めた者)は、もはや昇る余地が無く、衰える恐れがある。月は満月になれば次には欠けてゆき、物事は盛りを極めれば後は衰える。」と記されている。建築では、実際に未完成の所を残す訳にはいかないので、陽明門では柱一本だけ模様を変え、勝興寺の本堂では異なった材質の柱を用いた訳である。広義では、魔除けと云えない事もなかろうが、本堂の柱を逆さ柱と呼ぶのは、陽明門と重なってしまった結果と思われる。鎌倉時代の「徒然草」、江戸初期の東照宮、江戸後期の勝興寺と繋がるこの思想は、実は大工の秘伝ではなかっただろうか。大工棟梁が後継者に口伝として綿々として伝授した奥義であったかも知れない。