二 所蔵品調査について

 今回報告を行う絵画類二部書跡を含む)に隕っても、その数は一九四件に及んだ。その中には重要文化財、富山県指定文化財となっているものがあり、その存在が知られてはいたのだが、調査がすすむにつれ、指定文化財同等、あるいはそれ以上の価値を持つ絵画が発見されていった。
 その発見自体は喜ばしいものであったが、実際の調査には多くの困難がともなった。
 第一に、これはどの格式の寺院であれば、管理上作成されていて当然である筈の所蔵品目録が見あたらず、どれだけの什物があるのかがわがらなかった。保管場所がどこであるのかさえも充分にはわかっていなかったのである。そのため、前回の調査の折りに把握されていなかった作品が、次回の調査で思いも寄らぬ場所から発見されるということが多々あった。いつの時点で調査終了とみなしてよいのかわからないという事態であった。
 その上、保管場所である建造物そのものが老朽化して、解体修理が始まったために、一度調査に引き出した所蔵品を元の煬所にもどすこともできない場合があった。
 筆者が最初に調査に入ったのは、すでに建造物を解体修理するという前提での障壁画の予備調査であった。
 その後、平成十年二九九八)より本堂大修理が行われ、平成十六年(二〇〇四)十一月十九日に、本堂修理が竣工した。引き続き、平成十七年(二〇〇五)より工期十三年の予定で、本坊の大広間や台所など四棟と、唐門など諸門三棟、宝蔵など諸堂四棟の計十一棟が修復されることになっている。
 調査は、これらの工事が行われる現場で継続されたのであり、所蔵品も移動させざるをえなかった。前回の調査時にあった筈の作品が、いざ写真撮影を行おうとすると、保管場所が変わっていて、所在を確認するだけで数日かかるということさえあった。解体修理のために建造物から運び出されたばかりか、その後の調査によって、建造物そのものが復元プランからはずされ、戻るべき建物がなくなってしまった杉戸もある。
 現在は、財団法人勝興寺文化財保存・活用事業団専務理事・笹島千恵子氏と文化財修理大工・田中工匠代表・田中健太郎棟梁の多大なるご尽力により、すべての所蔵品に整理番号がつけられ、保管場所が確保され、欣快にたえない。
 ただし、解体修理は継続しているので、今後、新たな発見がないとはいえない。喜ばしいような、報告書作成のためには悩ましい、勝興寺所蔵品調査であった。
 また、九〇年代には主にフィルム撮影を行っていたが、二〇〇〇年に入ってからはデジタル撮影が主流になった。混在する写真資料と文字資料のつきあわせは、田所和佳氏の根気強い編集作業がなければなし得なかったことである。