五 掛軸、巻子及び額等

 もっとも点数の多い掛幅等のうち注目されるのは、大名家との縁組みなどの儀礼に必要とされ、制作された、狩野派絵師による掛幅や巻子である。
 以下四点の狩野派絵画も、「洛中洛外図」同様に、縁組みや引き移りなどの公的な用向きで制作されたものであろう。県指定、市指定文化財にさえなっていないが、極めて華麗で貴重な作例である。
 加藤遠澤筆「四季耕作図巻」(絹本著色、二巻 五-三一)は、二重箱の内箱(透漆印籠蓋)蓋表に、金泥で「絵巻物 耕作之図二軸 加藤遠洋筆」とあり、各巻巻末に「行年七十九歳遠津筆(白文方印 遠津)」、さらに下巻末尾には「享保九甲/辰年霜月吉日」と款識がある。加藤遠澤(一六四六~一七三〇)は、狩野探幽門下で、会津保科家に仕えた絵師であるが、本作品の款識によって、生没年が確認された。絹本、二重箱という入念な作であることから、会津藩御抱絵師としての公務に関わる作品で、縁組みの際の持参品であることを推測させる。
 「寿老人松竹鶴図」(三幅対 五-四)は、探幽の次男・狩野探雪(一六五五~一七一四)の筆になる。父探幽に似た瀟洒な画風である。箱のみしか伝わらないが(五-八三)、木挽町狩野第六代当主・栄川院典信(一七三〇~一七九〇)の三幅対もあったようだ。
 江戸城障壁画の絵師としても知られる木挽町狩野第九代当主・狩野瞶川院養信(一七九六~一八四六)筆「刑和璞百鶴百猿図」(三幅対 五-一〇)や、その弟子・中山鍮次(養福一八〇五~四九)筆「源氏物語絵(若菜)」(対幅五-一一)も、おそらく、鷹司家出身の広悟や前田斉泰養女・清皎が勝興寺住職に入輿しか際にもたらされたものであろう。極めて美麗かつ入念な作品である。
 大寺院の格式にふさわしい狩野派作品のほか、享和三年(一八〇三)十九代住職・法薫が、交遊のあった公家九人に万葉故地を題材に和歌を依頼し、原在中(一七五〇~一八三七)に布施湖を描かせた巻物「布勢湖八勝」(一巻 五-七三)がある。万葉故地を顕彰する「遊覧越中旧国府家持卿古蹟述懐辞」(五-六九)も存する。現在の高岡市における万葉顕彰の濫觴ともいえるだろう。
 公家の藤原哲長(一八二七~)に描かせた「歌絵」(三幅対五-一二)のように本願寺出身の住職と公家との交流から生み出された作品も存在する。「東山雅賞」(五-七二)のように、詩文に優れた当代の人物たち交流の現場とも言える書画もある。
 絵画ではないが、重厚な作りの「古筆鑑」(五-七五)、「春日詠(五-七四)、延宝四年(一六七六)以前の作で、本願寺第十四世門主・寂如も執筆に参加したと見られる「八景詩歌」(五-七一)などもきわめて重要な作例である。
 また、歴代の住職、住職夫人の中には、詩歌や香、茶事などの文事に優れた人物も少なくない。「摂受院殿菊花観覧之御詩自書](五-四五)、「蓮生院広悟尼之懐紙」(五-五一)「十蛙香覚書二五-七八」、「興正寺摂信上人御極并曾記」(五-五三)は、そうした事例である。
 掛幅、巻子の作品には、勝興寺の文事を解明してゆくために、今後、国文学、歴史学など様々な分野から、さらに考究されるべき作品が数多く含まれている。
 本報告書には、様々な不備があるが、今後の研究の素材提供の一助になれば幸いである。
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[主な参考文献]
・松原茂「奥絵師狩野晴川院-『公用日記』にみるその活動」(『東京国立博物館紀要』十七号 一九八一年)
・須藤繁樹「徳島藩御用絵師中山養福考-修業時代の養福」(徳島地方史研究会『史窓』二二号 一九九一年)
・高岡市教育委員会編『越中勝興寺伽藍』(一九九四年)
・高岡市教育委員会編『勝興寺の宝物-調度品にみる近世大寺院のくらし』(一九九五年)
・福島県立博物館『遠澤と探幽-会津藩御抱絵師加藤遠澤の芸術』展図録(一九九八年)
・川延安直「会津藩御抱絵師加藤遠澤の基礎的研究」(『福島県立博物館紀要』第十二号 一九九八年)
・江戸東京博物館『狩野派の三百年』(一九九八年)
・拙稿「四季耕作図と耕織図、四季絵-加藤遠澤筆『四季耕作図巻』(勝興寺蔵)の紹介をかねて-」『富山県立大学紀要』十号 二〇〇〇年)
・文化庁芸術拠点形成事業・富山県まるごと博物館共通解説書『富山の絵画』(二〇〇三年)
・貝塚市教育委員会『貝塚市文化財調査報告第二集 浄土真宗関係の絵画と書跡』(二〇〇四年)
・勝興寺本堂修復竣工記念宝物展実行委員会『勝興寺宝物展図録』(二〇〇五年)
・内村周(《勝興寺洛中洛外図)を読み解く-画中の少女を鍵として-」(同志社大学文学部『美学芸術学』二一号、二〇〇五年)
・拙稿「勝興寺歴代住職および夫人肖像画」(『富山県立大学紀要』第十五巻、二〇〇五年)
・拙稿「江戸時代における瀟湘八景の作例紹介-勝興寺所蔵品から-」(『富山県立大学紀要』第十六巻、二〇〇六年)