三 勝興寺と前田家

 越中古国府勝興寺は、戦国時代には、井波瑞泉寺と並ぶ越中一向一揆の指導的寺院として活躍した寺院である。その寺院が、近世に入ると、越中における本願寺派の中心寺院として、加賀藩主前田家から庇護を受け、近世後期には、藩主の子を住職に迎え、その子がのちに還俗して加賀藩主になるという具合に、加賀藩主家と深い関係をもつようになる。
 こうした一向一揆の指導的寺院から加賀藩の庇護を受けるまでには大きな落差があり、これをどのように理解するかという問題は、真宗の大坊がいかにして近世化を遂げていったかを見る上で重要な課題である。特に勝興寺は、蓮如の四男蓮誓が入った連枝の寺であり、越中真宗寺院の中で占める位置は大きい。勝興寺の近世化という視点で見ていきたい。