(一)京都の世情・風評

 書状で最も多く伝えられた情報は、京都における世情や政局に関する噂である。京・大坂以外の地域(居住地を除く)、例えば江戸や西国・九州における長州征伐の状況等、他の事例に散見する情報はほとんど見られない。また、これらの情報は、特に本山である西本願寺の動向と関連づけて記述されているものが多く(後述)、伝達者にも寺院関係者が多い点が特徴である。
 政局について具体的な事件を挙げると、天誅の流行、八月十八日の政変、天誅組の乱、池田屋事件、禁門の変、長州征伐、将軍上洛・死去、天皇死去、鳥羽伏見の戦等がある。その他、戦火による市中の被害、物価や景気等の社会情勢も書きとめられている。特に、文久三年(一八六三)八月十八日に発生した公武合体派によるクーデターの際には、広揚・広証ともに上京していたため、事件直前の尊王攘夷派による天誅事件や混乱する本山・市中の様子、諸大名による警固、朝敵となった長州の風評等、二人が実際に見聞した出来事が記録、伝達されている(二三三-一六七)。このことは、勝興寺が当時の政治の変動をより身近に感じるひとつの契機になったと思われる。