(三)居住地近辺の事件

 文久二年、所口に加賀藩の海防政策のひとつとして、軍艦の操練実習を行う七尾軍艦所が設立された。広揚からの書状には、慶応元~三年(一八六五~七)に入港した加賀藩の蒸気船に関する所口町の風評が記されている(二三三-二五七八八九一〇八)。
 一方、広証は、元治元年十二月から翌年三月にかけて、西上する水戸藩の浪士達(天狗党)が、越前を通過し敦賀で捕らえられるまでの様子を詳細に記録している。特に、十二月二~四日の笹又村の合戦では、大火が本向寺のある市波からも見えたため、五尊等の宝物を避難させている(二三三-一一)。当時の政局の動向が、直接的な被害となって自身にふりかかってきたこと、事件の推移を注視していた様子が窺える。