(四)領主層の動向

 書状には、勝興寺・光徳寺・本向寺の領主である加賀藩主前田家、福井藩前藩主松平春嶽の動向や世間の評判も書き留められている。中でも慶応四年の北越戦争は、加賀藩・福井藩とも出兵していたため関心が高く、口頭による伝聞や実見だけでなく、官報「太政官日誌」を通じて新政府の発した情報も収集している点が特徴的である(二三三-四七四八)。
 以上、幕末期の勝興寺に伝えられた情報は、本山の動向を始め、地方寺院の運営に関わる出来事が中心となっていた。このことは、幕末期の地方寺院が全国的な政局・世情の変動による影響を受けており、その中で自寺の立場・経営を維持していかなければならなかった事実を示すものである。

(堀井 美里)