1-2-2 赤池会所

 赤池会所の設立に関する資料は不明ですが、弘化元(1844)年だろうといわれています。福岡藩の若松石炭会所に刺激されて小倉藩でも石炭の統制にかかり、赤池会所を設けて、石炭の採掘・販売を藩の事業としました。当時の石炭運搬は川艜(かわひらた)による水運で行われていました。
 赤池会所は、石炭山の経営・積み下しの統制を考慮して、現在の平成筑豊鉄道人見(ひとみ)駅近くの岩淵にある舟庄屋島津家付近であろうと考えられます。坊主ケ谷(ぼうずがだに)・林ケ谷(りんがだに)から採掘された石炭は藩庁に納められ、若干を藩主の公用にあてられました。会所の運営資金不足のため、金田(かなだ)村庄屋荒牧孫四郎より金20両・大庄屋金田四郎兵衛より金30両を借りて、御郡方御用係植木六郎衛門は会所を運営したといいます。
 岩淵に積み替えられた石炭は赤池炭として若松におくられました。赤池会所で扱う石炭の大きさは鶏卵大で、それ以下の小塊炭は一切買い上げませんでした。このため採炭業者は、小塊炭や粉炭は会所を通さずに石炭業者に委託して若松や小倉に運ぶことができました。
 このように小塊炭や粉炭を直接販売することで、多くの利益を挙げ、金田村の人見に富豪が出現しました。会所直営の坊主ケ谷石炭山の経営は、藩営民営・郡営等の変遷があり、幕末の第二次長州征伐の敗戦により解散となっています。
 

赤池会所跡
出典:『田川産業経済大観』

舟庄屋付近の赤池会所跡(平成29年)
撮影:福田昌

 
参考文献
九州日報社編集部(1954)『田川産業経済大観』九州日報社.
赤池町史編纂委員会(1977)『赤池町史』赤池町.
筑豊石炭礦業史年表編纂委員会(1973)『筑豊石炭礦業史年表』田川郷土研究会,西日本文化協会.
 
地図
鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.
筑豊煤田地圖(筑豊炭礦誌)』明治26(1893)年製図 明治31(1898)年発行 中村近古堂.