1-3-6 筑豊の地図と鉄道

 筑豊を実測した近代的地図は、『鑛山借区圖』が最も古いものです。伊能忠敬の実測図を基にした明治18(1885)年頃のもので、鉄道は描かれていません。
 第二は、明治26(1893)年筑豊石炭礦業組合事務所発行の『筑豊煤田地圖』で、建設中の鉄道道路が描かれています。
 第三は、明治33(1900)年測量の陸地測量部の地図です。『小倉3号「後藤寺」』には伊田線、田川線がみえます。次は、明治43(1910)年の『筑豊炭山位置略圖』です。現在の勾金(まがりかね)駅が開設当時は香春(かわら)駅とわかります。同じく大正6(1917)年の『九鐵沿線炭鑛位置略圖』には西身内谷駅と東身内谷駅がみえ、現在無くなった駅も描かれています。昭和48(1973)年に発行した『筑豊石炭礦業史年表』附録の『最盛期の筑豊炭田炭坑分布図』(昭和15年頃)には最盛期の国鉄、私鉄の鉄道網が筑豊地方に広がる様子が描かれています。
 また、小倉鐵道株式会社が昭和3(1928)年に発行した『小倉鐵道沿線名所圖繪』には、後藤寺隧道が描かれています。明治28(1895)年8月に行橋(ゆくはし)駅-伊田駅間の鉄道の開通式が後藤寺隧道の中で行われました。現在の田川市役所がある丘陵地西側の切り通しにありました。
 

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『小倉鐵道沿線名所圖繪』(部分)(昭和3年)
提供:個人蔵

 
参考文献
筑豊石炭礦業史年表編纂委員会(1973)『筑豊石炭礦業史年表』田川郷土研究会,西日本文化協会.
 
地図
鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.  各地点を見る→ 後藤寺  伊田  香春
筑豊煤田地圖(筑豊炭礦誌)』明治26(1893)年製図 明治31(1898)年発行 中村近古堂.
小倉3号「後藤寺」』明治33(1900)年測量 明治36(1903)年発行 大日本帝国陸地測量部.
筑豊炭山位置略圖(筑豊石炭鑛業要覧)』明治43(1910)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.
九鐵沿線炭鑛位置略圖(最新筑豊石炭鑛業要覧)』大正6(1917)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.
小倉鐵道沿線名所圖繪』昭和3(1928)年 小倉鉄道.
最盛期の筑豊炭田炭坑分布図 昭和15年頃(筑豊石炭礦業史年表)』昭和48(1973)年 田川郷土研究会.