2-1-8 天体観測

 香春(かわら)における伊能忠敬測量隊の本陣は、年寄の米屋源右衛門宅です。脇本陣は博多屋勘助宅です。「札の辻」付近にあったと思われます。測量隊は19名ですが、支援隊は150名程度と考えられます。
 『測量日記』によると、文化9(1812)年7月13日に、大雨の中16日の月食測量のため小倉へ向かい13日七ツ頃(約16時)、香春(かわら)に止宿(ししゅく)しました。測量隊は、小石原(こいしわら)、落合(おちあい)を経て、13日に大庄屋添田保助宅に止宿しています。14日には添田(そえだ)町、大任(おおとう)、香春を測量し八ツ半(約15時)米屋源右衛門宅に止宿しました。翌年の文化10(1813)年10月10日には、大隈(おおくま)、猪膝(いのひざ)、後藤寺(ごとうじ)新町伊田、香春の測量を行って同じ場所に本陣を取っています。
 天体観測は、恒星が子午線を南中する時刻を測定しています。組み立て式の象限儀(しょうげんぎ)を使って恒星の高度を測り緯度を求めていました。経度は月食の開始と終了時刻の全国各地の違いから求めようとしましたが誤差が多くなかなかうまくいきませんでした。天体観測の場所は南北に開けた10坪程度の空き地が必要であったことから、止宿地近くの空き地が考えられます。中津道、小倉街道(秋月街道)が交差する旧御殿(きゅうごてん)橋の横、大きな楠の木が2本立っていた場所で、庚申塔(こうしんとう)や興玉神(おきたまのかみ)が祀られている付近と考えられます。
 

象限儀
撮影:中野直毅

 
参考文献
原田種純、今永正樹(1976)『伊能忠敬 測量日記』九州ふるさと文献刊行会.
渡辺一郎(2011)『国宝 伊能忠敬測量日記(DVD)』伊能忠敬と伊能図の大事典をつくる会.
渡辺一郎(2013)『伊能図大全』河出書房新社.
清水靖夫、長岡正利、渡辺一郎(2002)『伊能圖』武揚堂.
 
地図
鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.