工部大輔は後藤象二郎(1871年)でしたが、伊藤博文(1871年 - 1873年)へ引き継がれ、その後1880年代前半に鉄道・電信などを除き官営工場の民間への払下げが進められました。工部省鉱山課では、明治18(1885)年6月頃、嶋田純一を中心に北海道以外の『鉱山借区図』が完成しました。第9舖の九州だけ伊能忠敬の実測図が使われています。12月には内閣制度とともに工部省は廃止、逓信省と農商務省に分割・統合されました。『鉱山借区図』には高島炭坑の地質図も描かれています。
長崎県の高島炭坑は鍋島藩が英国商人トーマス・グラバーとの合弁で慶応4(1868)年開発を始めました。グラバー商会は、明治2(1869)年蒸気巻き上げ機・蒸気ポンプを採用しましたが、排水問題や労働問題などにより経営破綻しました。明治政府による外資排除政策などから、明治7(1874)年に政府を退官した後藤象二郎に払い下げられ、その後、福沢諭吉の仲介で明治14(1881)年には岩崎弥太郎へと引き継がれました。イギリス製のスペシャルポンプ(排水用)を導入したことにより、高島炭鉱は近代的炭鉱として発展し、現在の三菱の基礎が形作られました。
『鑛山借区圖』(部分) 工部省鉱山課が作成した第9舖 提供:個人蔵 |
『鑛山借区圖』(部分) 高島炭坑地質図 提供:個人蔵 |
『鑛山借区圖』(表紙) 27.5cm×19cm 提供:個人蔵 |
参考文献
鑛山懇話會(1932)『日本鑛業発達史』鑛山懇話會.
鈴木淳(2002)『工部省とその時代』山川出版社.
中野直毅(2013)「鉱山借区図にみる明治期の富国強兵策と筑豊炭田」『郷土田川』第48号,田川郷土研究会.
地図
『鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.