2-2-1 伊藤博文

 伊藤博文(1841-1909)山口県光市で農家の長男、林利助として生まれました。父が伊藤家の養子となったので、伊藤俊輔と名乗ります。彼は向学心があり利発な子で、松下村塾で吉田松陰の教えを受けました。長崎にも遊学し、長州藩桂小五郎、後の木戸孝允に見いだされて、江戸で尊王攘夷派の志士となりました。長州藩士4名と国禁を犯して英国に密留学しました。彼らを長州五傑、長州ファイブとも云います。維新後、伊藤は博文と名乗り、外国事情に明るいため新開港場の兵庫県知事を務め、すぐに大蔵兼民部小輔などを務めました。政府は明治4(1871)年、岩倉具視を正使とする欧米派遣使節団を派遣しました。伊藤は、大久保利通、木戸孝允等とともに副使に任命されました。
帰国後には参議・初代工部卿に任じられました。明治新政府の工部省において初代工部卿として明治6(1873)年から明治11(1878)年まで努め、近代国家建設の社会基盤整備と殖産興業を進めていきました。また、明治6(1873)年は日本坑法が発布され、それまでの国家独占主義と外国人排斥の原則のもと、15年間の借区制度が確立します。
 工部省鉱山課は明治18(1885)年頃に全国の『鉱山借区図』を完成させています。伊能忠敬の地図をもとにした九州の『鉱山借区図』は筑豊の石炭が克明に描かれており、筑豊炭田の近代化にも寄与することになります。
 伊藤博文は初代内閣総理大臣として計4回努め、明治憲法の制定、初代の枢密院(すうみついん)議長、初代の貴族院議長、初代の韓国統監を歴任しました。明治期の近代化に大きな影響を与えた人物です。中国のハルピン駅で安重根に暗殺されました。
 

初代内閣総理大臣伊藤博文
出典:『近代偉人の肖像』

 
参考文献
服部之總(1950)『明治の政治家たち上巻』岩波新書31.
井上清(1974)『日本の歴史20 明治維新』中公文庫.
杉森久英(1976)『明治の宰相 伊藤博文伝』角川文庫.
鈴木淳(2002)『工部省とその時代』山川出版社.
 
地図
鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.