帰国後には参議・初代工部卿に任じられました。明治新政府の工部省において初代工部卿として明治6(1873)年から明治11(1878)年まで努め、近代国家建設の社会基盤整備と殖産興業を進めていきました。また、明治6(1873)年は日本坑法が発布され、それまでの国家独占主義と外国人排斥の原則のもと、15年間の借区制度が確立します。
工部省鉱山課は明治18(1885)年頃に全国の『鉱山借区図』を完成させています。伊能忠敬の地図をもとにした九州の『鉱山借区図』は筑豊の石炭が克明に描かれており、筑豊炭田の近代化にも寄与することになります。
伊藤博文は初代内閣総理大臣として計4回努め、明治憲法の制定、初代の枢密院(すうみついん)議長、初代の貴族院議長、初代の韓国統監を歴任しました。明治期の近代化に大きな影響を与えた人物です。中国のハルピン駅で安重根に暗殺されました。
初代内閣総理大臣伊藤博文 出典:『近代偉人の肖像』 |
参考文献
服部之總(1950)『明治の政治家たち上巻』岩波新書31.
井上清(1974)『日本の歴史20 明治維新』中公文庫.
杉森久英(1976)『明治の宰相 伊藤博文伝』角川文庫.
鈴木淳(2002)『工部省とその時代』山川出版社.
地図
『鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.