2-2-2 後藤象二郎

 後藤象二郎(1838-1897)は、土佐藩士の長男として高知県に生まれました。義理の叔父吉田東洋の少林塾に学び、後に江戸開成所で洋学を学んでいます。
 土佐藩主山内容堂に認められて藩政の中心を担いました。坂本龍馬の献策を容れて容堂公を説き、将軍・徳川慶喜に大政奉還の建白書を提出しました。幕府は慶応3(1867)年、朝廷に大政奉還しましたが、武力倒幕で明治維新をむかえます。
 新政府では明治4(1871)年には工部省の初代工部大輔を努め、参与、参議などを歴任しました。殖産振興による近代化の著をつけました。明治18(1885)年頃に工部省鉱山課が作成した『鉱山借区図』には筑豊の石炭借区が載っています。
 明治6(1873)年征韓論に敗れて辞職すると、翌年に実業界に転身しました。グラバーが経営に失敗した後、官営となっていた高島炭坑の払い下げを受け、経営に乗り出しましたが、出水問題から経営に失敗します。明治14(1881)年、旧高知藩の岩崎弥太郎に譲り渡しました。英国で開発されたスペシャルポンプのおかげで出水問題を解決し、海底の炭鉱開発が後の三菱の基盤になりました。
 新政府辞職後は同じ土佐藩出身の板垣退助らと愛国公党や自由党を結成し、民撰議院設立建白運動を起こします。後には官僚閥族政治打破のために反官僚閥族派の大同団結運動を起こしましたが、伊藤博文らに懐柔され政府側に付き、逓信(ていしん)大臣や農商務大臣を歴任しました。
 

後藤象二郎
出典:近世名士写真その2

 
参考文献
高柳光寿、竹内利三(1966)『日本史辞典』角川書店.
井上清(1974)『日本の歴史20 明治維新』中公文庫.
色川大吉(1974)『日本の歴史21 近代国家の出発』中公文庫.
湯本豪一(2000)『図説 明治人物事典』紀伊国屋書店.
上田正昭他(2001)『日本人名大辞典』講談社.
 
地図
鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.