3-1-1 第一・第二煙突 -旧三井田川鉱業所伊田竪坑-

 田川の夜を見守る、天を突き刺す二本の黄金の煙突。毎夜のライトアップにより、荘厳な姿を見せる煉瓦の建造物は、かつて、黒煙を吐き出してお月さんを煙たがらせた煙突であると、炭坑節にも唄われています。この二本煙突は竪坑櫓と並んで三井田川の象徴的な風景です。
 現在、田川市の石炭記念公園に保存されている二本の煙突は、三井田川鉱業所伊田坑の竪坑巻上機を動かす蒸気を作り出すものでした。当時は煙突前に12基のボイラーが付属し、石炭を燃焼した際の排煙用として、明治41(1908)年に完成しました。現在、高さは約45.45mで、特に西側の第二煙突は八角形の基壇の上に軒蛇腹のような煉瓦の追出しがみられ、格式や様式を重視した明治期の特徴が残ります。煙突のレンガはフランス積み(正式にはフランドル積み)やイギリス積みが取り入れられています。明治期には多くの技術者たちが、先端の技術を習得し育っていきました。
 この二本煙突は国内最大級の炭鉱煙突であることが評価され、平成19(2007)年には国登録文化財(建造物)に登録されました。炭都・田川のランドマークとして、市民から愛されています。
 

二本煙突と竪坑櫓
提供:個人蔵

 
参考文献
筑豊石炭礦業史年表編纂委員会(1973)『筑豊石炭礦業史年表』田川郷土研究会,西日本文化協会.
田川市史編纂委員会(1979)『田川市史 中巻』田川市.
田川市教育委員会(2016)『三井田川鉱業所伊田坑跡-福岡県田川市所在炭鉱遺跡発掘調査報告』.
 
地図
筑豊煤田地圖(筑豊炭礦誌)』明治26(1893)年製図 明治31(1898)年発行 中村近古堂.
小倉3号「後藤寺」』明治33(1900)年測量 明治36(1903)年発行 大日本帝国陸地測量部.
筑豊炭山位置略圖(筑豊石炭鑛業要覧)』明治43(1910)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.
九鐵沿線炭鑛位置略圖(最新筑豊石炭鑛業要覧)』大正6(1917)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.
最盛期の筑豊炭田炭坑分布図 昭和15年頃(筑豊石炭礦業史年表)』昭和48(1973)年 田川郷土研究会.
鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.  各地点を見る→ 伊田