3-1-2 伊田竪坑櫓 -旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓-

 伊田竪坑櫓は竪坑上部に立つ設備で、I形鋼を使用した4本の鋼柱等からなる鋼構造体の頂部に、2基の大型ヘッドシープ(滑車)を据え付けたものです。高さは約28.4mで、巻き上げ機と分離する様式のバックステイ形であり、当時は櫓の直前に竪坑巻上機が付属し、櫓を経由してケージを竪坑で動かしていました。竪坑櫓は当時2基ありましたが、第一竪坑櫓の1基みが現存しています。
 現存する竪坑櫓は三井田川が明治42(1909)年に完成させました。製作はアレキサンダーファインドレー会社(イギリス)で、鋼材の梁には「GLENGERNOCK STEEL」「LANARKSHIRE STEEL Co.ld SCOTLAND」「GLASGOW STEEL」など、スコットランドの鋼材メーカーの刻印がみられます。二本煙突と並んで竪坑櫓の建築にたずさわった多くの技術者たちが育っていきました。この伊田竪坑は三菱方城(ほうじょう)炭礦、製鐵所二瀬(ふたせ)中央坑とともに、明治日本の三大竪坑と呼ばれていました。
 なお、第一竪坑は昭和初期から石炭運搬専用となり、昭和26~27年にようやく電化されました。大正6(1917)年には、与謝野晶子夫妻と小林寛(こばやしゆたか)夫妻が伊田竪坑へ入坑している写真が残されています。伊田竪坑櫓は、平成19(2007)年には第一、第二煙突と共に、国登録文化財(建造物)に登録され、炭都・田川のシンボルとして大切に保存されています。
 

二基の竪坑櫓
提供:個人蔵

竪坑櫓(平成29年)
撮影:福本寛

 
参考文献
筑豊石炭礦業史年表編纂委員会(1973)『筑豊石炭礦業史年表』田川郷土研究会,西日本文化協会.
田川市史編纂委員会(1979)『田川市史 中巻』田川市.
田川市教育委員会(2016)『三井田川鉱業所伊田坑跡-福岡県田川市所在炭鉱遺跡発掘調査報告』.
 
地図
筑豊煤田地圖(筑豊炭礦誌)』明治26(1893)年製図 明治31(1898)年発行 中村近古堂.
小倉3号「後藤寺」』明治33(1900)年測量 明治36(1903)年発行 大日本帝国陸地測量部.
筑豊炭山位置略圖(筑豊石炭鑛業要覧)』明治43(1910)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.
九鐵沿線炭鑛位置略圖(最新筑豊石炭鑛業要覧)』大正6(1917)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.
筑豊炭田地質圖』昭和4(1929)年 筑豊石炭鑛業組合.
最盛期の筑豊炭田炭坑分布図 昭和15年頃(筑豊石炭礦業史年表)』昭和48(1973)年 田川郷土研究会.
鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.  各地点を見る→ 伊田