頭領と呼ばれる経験と対人支配に長けた、鉱夫たちの雇用、解雇の権利を委託された人材がいました。そして、生活難からの脱出を願う、各地からの現場労働者たちがいました。間接雇用の独特の納屋制度の時代でした。
明治中期以降、会社組織の確立と近代的な雇用関係が確立して、納屋制度から炭鉱ごとの地域共同体的な社会が形成されました。さらに、太平洋戦争後、日本全体の民主化のうごきの中に、使用者対労働者の協調と対立の炭鉱開発に至りました。
ライマン先生と往年の助手との再会(明治40年) 出典:『來曼先生小傳』 |
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稲垣徹之進(明治鉱業専務) 出典:『筑豊炭礦誌』 筑豊石炭鉱業組合第三代総長 |
安達仁造(古河鉱業) 出典:『筑豊炭礦誌』 筑豊石炭鉱業組合第四代総長 |
参考文献
高野江基太郎(1898)『筑豊炭礦誌』中村近古堂.
桑田権平(1937)『來曼先生小傳』桑田権平.
地図
『鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.