39歳で伊田町町長になりました。そして福岡県議会議員、福岡県議会議長を務め、昭和18(1943)年68歳で伊田・後藤寺(ごとうじ)の両町が合併した初代田川市長となりました。故郷を日本一の理想郷にしようと、後にコールタン池と呼ばれた番田(ばんだ)池の所有権と使用権問題では、三井田川と交渉し、埋め立てや飲料水問題で努力しました。
その生涯を地域の発展に捧げ、100年後の田川の姿を見つめ続けた政治家と言われています。新町の旧林田家住宅(国登録文化財)は、林田春次郎が50歳から31年間暮らしたところです。
林田春次郎 提供:個人蔵 |
旧林田家住宅 撮影:森本弘行 |
新町の旧林田春次郎像 提供:個人蔵 |
参考文献
あをぎり登録文化財推進委員会(2011)『春爺ちゃんの家の話』NEKONOTE仕立て屋書房.
地図
『小倉3号「後藤寺」』明治33(1900)年測量 明治36(1903)年発行 大日本帝国陸地測量部.
『筑豊炭山位置略圖(筑豊石炭鑛業要覧)』明治43(1910)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.
『九鐵沿線炭鑛位置略圖(最新筑豊石炭鑛業要覧)』大正6(1917)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.
『伊田町全圖』大正13(1924)年 伊田町役場.
『最盛期の筑豊炭田炭坑分布図 昭和15年頃(筑豊石炭礦業史年表)』昭和48(1973)年 田川郷土研究会.