3-2-4 林田春次郎

 林田春次郎(1875-1956)は、田川郡伊田村伊加利(いかり)(現田川市)に生まれました。26歳のとき伊田村村会議員に当選し、34歳で伊田村村長になりました。この時「①神様を中心として国民精神を作興し、村の向上発展を期し、和にして質実剛健の村是の確立。②将来名実共に日本一の理想郷にしたい。そのためあらゆる機会を捉えて教育・文化・交通・産業・経済その他諸般にわたり、全力を傾注する。③100年後の伊田村の在り方を常に研究題目とし、一面あの昇天の如き三井鉱山といえども、必ず寿命のあることを忘れてはならぬ。なお、現在伊田村の面している客観情勢は、三井鉱山と共存共栄の立場で進まねばならない。」という三つの約束をしたそうです。
 39歳で伊田町町長になりました。そして福岡県議会議員、福岡県議会議長を務め、昭和18(1943)年68歳で伊田後藤寺(ごとうじ)の両町が合併した初代田川市長となりました。故郷を日本一の理想郷にしようと、後にコールタン池と呼ばれた番田(ばんだ)池の所有権と使用権問題では、三井田川と交渉し、埋め立てや飲料水問題で努力しました。
 その生涯を地域の発展に捧げ、100年後の田川の姿を見つめ続けた政治家と言われています。新町の旧林田家住宅(国登録文化財)は、林田春次郎が50歳から31年間暮らしたところです。
 

林田春次郎
提供:個人蔵

旧林田家住宅
撮影:森本弘行

新町の旧林田春次郎像
提供:個人蔵

 
参考文献
あをぎり登録文化財推進委員会(2011)『春爺ちゃんの家の話』NEKONOTE仕立て屋書房.
 
地図
小倉3号「後藤寺」』明治33(1900)年測量 明治36(1903)年発行 大日本帝国陸地測量部.
筑豊炭山位置略圖(筑豊石炭鑛業要覧)』明治43(1910)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.
九鐵沿線炭鑛位置略圖(最新筑豊石炭鑛業要覧)』大正6(1917)年 筑豊石炭鑛業組合事務所.
『伊田町全圖』大正13(1924)年 伊田町役場.
最盛期の筑豊炭田炭坑分布図 昭和15年頃(筑豊石炭礦業史年表)』昭和48(1973)年 田川郷土研究会.