三井田川病院は昭和11(1936)年に竣工されました。左側の写真には三井田川病院がないのでそれ以前と分かります。金仏さんなど、慰霊のために施設が整備されていきました。右側の写真には完成直後の三井田川病院と第三坑の山の神がみえます。
当時、伊田町の町長林田春次郎は、番田の農業用水を供給していた番田溜池が、伊田坑の炭坑開発による都市化のため不要になりました。そのため、三井田川と交渉し番田池の埋め立てによる町有地の拡大や白鳥神社から栄町までの道路新設などの交渉をおこないました。交渉はうまくいきませんでしたが、最終的には伊田町への無料給水や栄町県道沿いの三井社有地譲渡が決められていきました。このような変遷を経て現在では番田池は、姿を消していきました。
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三井田川鉱業所の絵はがき 提供:個人蔵 道路新設工事(昭和10年以前) |
参考文献
田川市誌編纂委員会(1954)『田川市誌』田川市.
田川市史編纂委員会(1979)『田川市史 中巻』田川市.
広瀬呈蔵(1957)『林田春次郎翁を語る』林田春次郎翁顕彰会.
地図
『鑛山借区圖』明治18(1885)年 工部省鉱山課.
『小倉3号「後藤寺」』明治33(1900)年測量 明治36(1903)年発行 大日本帝国陸地測量部.
『伊田町全圖』大正13(1924)年 伊田町役場.