作品中には、炭坑についての不適切な表現や、信介と梓先生との会話で、筑豊(ちくほう)に存在しないまちがった認識が表現されています。原作の限界は、映画などの多数の展開により、その作品への補強がなされ、さらに原作の果たした功績が高いものになったと言えます。
明治の近代化の中で、田川は海外の技術による炭鉱開発がなされ、多くの技術者たちが育っただけでなく、たくさんの炭鉱事故による犠牲者や戦前・戦中・戦後に翻弄され揺れ動いた歴史といえるでしょう。川筋気質(かわすじかたぎ)という言葉だけでは語ることのできない深い田川の文化が、農村から大きく変化した後藤寺(ごとうじ)、弓削田(ゆげた)、伊田、香春(かわら)をはじめ多くの地域に見ることができます。収録できなかった地域も含めて田川の歴史や文化と、これからを思慮深くとらえていく必要があるでしょう。
香春岳と伊田竪坑 出展:『ありし日の三井田川炭鉱』 |
参考文献
五木寛之(2016)『改定新版 青春の門 筑豊篇』講談社.
町田定明(1964)『ありし日の三井田川炭鉱』三井鉱山kk 田川事務所.
地図
『小倉3号「後藤寺」』明治33(1900)年測量 明治36(1903)年発行 大日本帝国陸地測量部.
『伊田町全圖』大正13(1924)年 伊田町役場.