3-3-4 青春の門

 「香春岳は異様な山である」は、五木寛之さんの『青春の門 筑豊篇』の始めの一行です。昭和44(1969)年発表のこの作品により、終末を迎えた産炭地筑豊に世間の関心が再び寄せられるきっかけになったと言えます。とりわけ、昭和50(1975)年東宝映画「青春の門」、昭和56(1981)年東映映画「青春の門」の公開を始めとして、舞台化、テレビ放送、アルバム『青春の門』、シングル『織江の唄』リリース等多数の関連展開により、さらに著名な作品となっていきました。
 作品中には、炭坑についての不適切な表現や、信介と梓先生との会話で、筑豊(ちくほう)に存在しないまちがった認識が表現されています。原作の限界は、映画などの多数の展開により、その作品への補強がなされ、さらに原作の果たした功績が高いものになったと言えます。
 明治の近代化の中で、田川は海外の技術による炭鉱開発がなされ、多くの技術者たちが育っただけでなく、たくさんの炭鉱事故による犠牲者や戦前・戦中・戦後に翻弄され揺れ動いた歴史といえるでしょう。川筋気質(かわすじかたぎ)という言葉だけでは語ることのできない深い田川の文化が、農村から大きく変化した後藤寺(ごとうじ)弓削田(ゆげた)伊田香春(かわら)をはじめ多くの地域に見ることができます。収録できなかった地域も含めて田川の歴史や文化と、これからを思慮深くとらえていく必要があるでしょう。
 

香春岳と伊田竪坑
出展:『ありし日の三井田川炭鉱』

 
参考文献
五木寛之(2016)『改定新版 青春の門 筑豊篇』講談社.
町田定明(1964)『ありし日の三井田川炭鉱』三井鉱山kk 田川事務所.
 
地図
小倉3号「後藤寺」』明治33(1900)年測量 明治36(1903)年発行 大日本帝国陸地測量部.
『伊田町全圖』大正13(1924)年 伊田町役場.