豊州鉄道赤煉瓦橋梁

 豊州鉄道は行橋駅から伊田駅(現田川伊田駅)までは明治28(1895)年に開業、後藤寺駅(現田川後藤寺駅)は明治29(1896)年に延伸しました。平成30(2018)年から令和2(2020)年までをかけて現状確認調査を行いました。赤煉瓦橋梁調査にあたっては小野田滋氏の研究論文を参考にトレースしながら調査を進めました。多くの場所で赤煉瓦の複線化構造、通称「下駄ッ歯」構造が明治28年当時のまま残されており非常に貴重です。(参考:複線化-豊州鉄道の下駄ッ歯橋梁-)
 現段階での赤煉瓦橋梁の現状確認ができた意義は大きいです。後藤寺隧道も複線化トンネルであったことが明らかになり、広域かつ多様な視点で調査研究を行うことで地域に眠る明治中期の文化財は、筑豊の炭鉱開発と筑豊炭田が形成されていった経緯を語ってくれます。ドイツ人技師のヘルマン・ルムシュッテルと日本人技師野辺地久記との接点や技術的指導助言もあり、九州鉄道と複線で接続予定であったと推測されます。
 現在は第三セクターの平成筑豊鉄道として赤煉瓦橋梁も現役で活躍しています。今回の調査は平成筑豊鉄道株式会社工務課の資料提供により災害時の列車運休時に調査を致しました。